世界各国の状況
264418 「特別な国」アメリカの終焉 その2
 
新川啓一 ( 40代後半 神奈川 建築家 ) 12/05/21 AM00 【印刷用へ
その1からの続き

(以下引用)
この流れは今に始まったわけではない。
ソ連は七十年間にわたる「国際共産主義運動」の大義名分を捨てて、恥ずかしいほどリアルな「普通の国」になった。
中国もなった。
EUはまだ意地を張って、「欧州統合」の理想を掲げているが、現実には、ヨーロッパでは「移民排斥」や「ユーロ離脱」を公然と掲げる右翼政党がどこでも支持率を急伸させている。
フィンランドでもオランダでもデンマークでも、「なりふり構わぬ本音」を人々は口にし始めた。
フランスも今年が大統領選挙であるが、去年の支持率調査では極右の国民戦線のマリーヌ・ルペンがサルコジ、オランドを抑えて首位につけた。
ルペンの公約は「移民排斥」と「ユーロ離脱」である。
それは単にEU理念の否定というだけでなく、「自由・平等・博愛」のフランス革命理念の否定でもある。
もう、きれいごとなんか言ってられない、ということである。
人権の本家であるフランスにして、そこまで追い詰められているということである。
実際の選挙結果は「(展望のない)現状維持」あたりに落ち着くのかもしれないが、それでも私たちの前に現状からの政治的なオルタナティブとしては「世界中のすべての国の『普通の国』化趨勢」しかないという事実は揺るがない。

これから世界のすべての国が「普通の国」になる。
グローバリゼーションとは、そういうことである。
でも、行き過ぎたグローバリゼーションに対する補正の動きは当然のことながら「ローカライゼーション」というかたちをとる。
具体的には、「共同体のダウンサイジング」である。
共和党の掲げる「世界の警官」廃業論や連邦政府の権限縮小論がはその適例である。

世界の人口は70億を越えた。中国一国で14億である。14億というのは、19世紀末の世界人口である。
それだけの人間を19世紀的なシステムでコントロールできるはずがない。
というので「世界政府」としての国際連合や、「国民国家の廃絶への道」としてのEUの理念が提示されたのだが、それがうまく機能していない。
サイズが大き過ぎたのだ。
だから、世界は今「ダウンサイジング」のプロセスに向かっている。
というのが私の現状理解である。

私自身、「顔の見える共同体」の必要性をつよく感じていることはこれまでも繰り返し書いてきた通りである。
幼児や高齢者や病人や障害者を含む集団を維持するためには、「集団内の弱者を支援し、扶助し、教育することは成員全員の当然の義務である」という「倫理」が身体化しているような集団がどうしても必要である。
「倫理」とは原義において「倫(なかまたち)」と共にあるための「理法」のことである。
「なかま」のいない人間に倫理は不要である。
「私には仲間はいない。いるのは手下と敵だけだ」という決めの台詞を何かの映画で見た記憶があるが、そういうのが「倫理のない人」である(たしかにこの人物は邪魔な人間、気に入らない人間をじゃんじゃん殺していた)。
仲間がいると人間の可動域は制約され、自由は抑制されるが、その代わりに「ひとりではできないこと」ができるようになる。
「ケミストリー」と言ってもいい。
自分に「そんなこと」ができるとは思ってもいなかったことが「仲間」の登場によってできるようになる。
一方で何かを失い、一方で何かを得る。
帳尻が合う場合もあるし、合わない場合もある。
「仲間がいてよかった」と思うこともあるし、「いない方がよかった」と思うこともある。
でも進化の淘汰圧は「仲間がいる種」だけを残した。

だから、私たちは「仲間とともに生きる理法」を学ばなければならない。
そして、この理法のいちばん基礎的な取り決めは、「最適サイズ」をどこにとるか、ということである。
倫理がきちんと機能するかどうか、それを決定するのは、実は「サイズの問題」なのである。
どこまでを「倫」(なかま)に含めるか。
それについてある程度筋の通った基準を決めておかないと、「理」は働かない。

倫理の有効性は、まことに身も蓋もない言い方をすれば、「その利害を優先的に配慮し、その人たちと共生することが自然な情理にかなっているように思える集団のサイズ」を適正にみきわめられるかどうかにかかっている。
「『倫理の効果はサイズによって決まる』というような非倫理的な妄言を吐く人間は厳しく弾劾されねばならない(そんなことをいう人間は私たちの仲間ではない)」というような言明はその「身も蓋もない」思考の好個の例である。
「倫理の効果はサイズの関数である」というのは事実認知的命題であり、「その集団のサイズをどう高いレベルに維持するか」は遂行的な課題である。
私は「事実認知から始まらないと遂行的課題は達成できない」というごく常識的なことを申し上げているだけである。

ポスト・グローバリズムの世界は、「縮む世界」となる。
この趨勢はとどめることができないと私は思う。
その事実をまっすぐに見据えて、その地滑り的な体制の変化の中で、「近代が夢見た(捨てられようとしている)理想」、すなわち「数百万、数千万の人々を結びつける宏大な共生感をもたらしうる何か」を掬い上げることが私たちのとりあえずの仕事であるように私には思われるのである。
わかりにくい話で済まない。
平川くんの『小商いのすすめ』と併読して下さると、私の言わんとするところも幾分かわかりやすくなるような気がする(まだ読んでないので、わからないけど)。

(以上引用終わり)
 
  List
  この記事は 264417 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_264418
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp