否定脳(旧観念)からの脱却
262510 絶対的権利である主権が国民にあるという民主主義の欺瞞。それは、革命の暴力(自我と私権の暴走)を正当化するもの1
 
彗星 ( 中年 ) 12/03/27 PM05 【印刷用へ
【KNブログ】より『日本史についての雑文その80 民主主義思想(リンク)』より転写します。

『実現論:序3(下) 民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である(256228)』を裏付ける記事がありました。それには、『何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我私権の主体である。自我私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。子どもの言い訳や屁理屈と同じである。』とあります。

 紹介したKNブログでは、『絶対的権利である主権の在り処を人民側に置くとした考え方が民主主義』といい、それが暴走と正当化を招くとあります。
 『主権』を人民側におき、人民による 『革命の暴力を正当化するもの』として利用されたとのこと。『国民の自然権の一つである立法権の下に主権に置き、国民にとって主権が不都合なものであるならば立法権を行使して主権を修正することができる』としたのが、ジョンロックで、誰もが主権を変えられるという革命への正当化観念であり、自我を暴走させる装置であるという構造が見えます。
 市民政府二論を提唱したジョン・ロックは『名誉革命で議会の決定』を正当化するために、これらの観念を作ったのであり、『専制君主の統治よりは無政府状態のほうが望ましい』という秩序破壊を正当化しており、革命肯定論(自我の暴走を肯定する論理)となるとのことです。
 さらに、ジャン・ジャック・ルソーにより、『「社会契約説」において「人民主権」というとんでもない逸脱をきたす』ことになったとあります。それは『国民と政府を完全に切り離し、主権は国民にある』という完全独立の自我正当化と集団否定の構造であることは間違えなく、『民主主義は自我の暴走装置』を裏付けるものと思われます。
 しかし、日本人は、縄文気質から、『合議至上主義、より多くの人間による合議の末の合意のほうが、より良い結論を得られるし、より全体の賛同を得やすいであろうという見通しに基づいたもの。それが究極まで広がった場合、国民全員の参加する合議や合意が最も望ましいという思想になり、それが日本的民主主義ということ』と理解しているだけ、本源風のため、否定するのが難しかったのだろうと思います。
-----------------------------------転載
 そこで理性万能主義を守りつつホッブズ理論を発展的に批判して1689年に「市民政府二論」で主権の分析を行ったのがイギリスのジョン・ロックでした。ここでロックが主張したのは、要するに「主権に対する抵抗権が国民にはある」ということでした。
 ホッブズ理論においては主権というものは自然状態から契約によって国家を作った時に生じるものとされたのですが、ロック理論においては主権は国民の参加する立法機関で多数決で制定されるものとして、つまり国民の自然権の一つである立法権の下に主権を置いたのです。これは典型的な制定法絶対主義、つまり人定法主義だといえます。
 これならば、国民にとって主権が不都合なものであるならば立法権を行使して主権を修正することが出来るわけです。しかもその判断基準として叡智や徳などは必要なく、その意見が単に多数を占めるだけでいいのです。そうして主権を修正するということは国家自体を作り変えることを意味するのであって、これは革命を肯定する理論ということになります。
 ロックが「市民政府二論」を書いたのは、その前年1688年に起きた名誉革命を正当化するためであったのです。名誉革命で議会の決定によって国王ジェームズ2世を廃して新国王ウィリアム3世を迎えたという経緯を正当化するために、議会の決定が既存の主権、つまり専制的な王権に優越するという論理を構築したのです。
 これによって主権というものは国民を服従させるような絶対的なものではなくなったので、それを制定する国民に特に叡智や徳などは必要ではなくなったのです。こうして国家主権というものは安易に立てられるものとなり、国家の存在証明が容易になったのです。

 しかし、そもそもホッブズは自然状態における国民の自然権の暴走をどのようにして制御するかというところから論理を構築して、そのために主権というものが存在するとしたのですが、このロック理論では主権が国民の自然権の下位に位置することになってしまい、国会で多数決で議決される制定法によって主権が制限されてしまうということになります。これでは自然状態における無政府状態を防止する理論であることが出来ません。
 それに対してロックは専制君主の統治よりは無政府状態のほうが望ましいと述べており、これは完全に革命肯定論になってしまっています。ロックはホッブズ理論を都合よく作り変えて名誉革命を正当化しようとしただけであり、それによって国家内において国民に無制限の権力を与える理論を構築してしまったのです。
 しかし実際の名誉革命の経緯はロックが解釈したものとは相違しており、議会の優越の根拠とされたのは1215年のマグナカルタや1628年の権利請願であって、それはまさに国王と議会の間の古からの「国王も法の下にある」という慣習であり、専制的な国王がそれに反したために議会が国王を廃したという、きわめてイギリス特有の事情によるものです。
 この場合、むしろ主権である法(コモン・ロー)に抵抗したのは国王のほうであり、それゆえに国王に正当性は無く、国王は敗れたのであり、「国王にすら主権への抵抗権は無い」ということが確認されたのが名誉革命の実相なのです。いわんや、名誉革命によって「主権に対する抵抗権が国民にある」などということが証明されたなどというロックの説などは全くの謬説に過ぎないのです。
 ロックは単に、議会が王権に優越したという表面的現象に目を奪われて、名誉革命の意味を取り違えて、それを正当化するためにホッブズ理論を引っ張り出してきて、その修正を施すかのようにして、根本的に違ったものに作り変えてしまったのです。
-----------------------------------2に続く
 
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