■1980-85年
1980年代前半には、5年累積のGDP成長率は34.3%まで低下(1975-80年は62.5%、それ以前は3ケタ)。
豊かさの実現から10年がたち、市場の拡大停止が目に見えてきたが、国債投入と輸出(主に米国の過剰消費欲をあてにした産業により経常黒字は拡大)でなんとかプラス成長を維持していた時期だろう。
一方で米国は赤字が拡大。ドル高もあって消費は旺盛だが、日本をはじめとする海外製造業に押され、産業の空洞化、失業問題等、経済的な苦境から、覇権の危機感を強めていったと思われる。
このころから貿易摩擦が激しくなり、米国の日本に対する圧力が厳しくなってくる。
戦後の対日政策は、@戦後占領期の民主化による集団の弱体化、A共産勢力に対抗する東アジアの拠点化と移ってきたが、ここでも大きな転換を迎える。
日本の恒常的な貿易黒字解消の要求からはじまり、政府の経済政策、日本企業の取引慣行等へのあからさまな内政干渉へと広がってゆく。
■1985-90年
米国の圧力を受けて、1986年の前川レポートでは、内需主導の経済成長が「国是」とされた。
また1985年のプラザ合意以降、数年で1ドル240円から1ドル120円台まで円高が進む。
さらに内需振興と称した低金利政策、リゾート開発、東京のオフィスビル需要を過大推計するなど、あらゆる手を使って、日本経済はバブルへと誘導されていった。
(後に世界中がバブル経済、バクチ経済へと移行してゆくが、当時の日本が先頭を切っていた。実物経済から架空経済への実験場になったとも言える)
1980年代後半はバブル経済を反映して、建設業、不動産業、金融・保険業のGDP成長への寄与度が著しく高かった。
なお、世界的にも先進国では物的工業生産(製造業)は相対的に衰弱、代わって金融資産の蓄積を背景に、金融・保険+不動産業の存在感が増してくる。米国ではいち早く1980年代後半に金融・不動産業がリーディングセクターとなった。
■1980年代バブル経済の背景として、重要なポイント
・既に豊かさを実現し、国債を投入してもGDPの成長は鈍化、実質の市場は縮小過程に入り、根本的に新たな局面を迎えていたこと。(この状況下で、「内需主導の経済成長」など自然状態ではありえない)
・そうした中で、日本の統合階級は、経済成長=市場拡大のために、また同時に米国および金融勢力の圧力に屈してor自ら従属するかたちで、なりふりかまわず、経済をバブルへと誘導したこと。
・バブルが膨れあがってゆくには、金儲け欲・贅沢欲(=過剰な私権欠乏)を刺激しつづける必要があるが、マスコミを中心に過剰な恋愛・遊び情報、露骨な性情報などによって、煽り続けていたこと。 |
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