実現論を塗り重ねてゆく
260955 8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
 
岡田淳三郎 ( 70代 大阪 経営 ) 12/01/29 AM00 【印刷用へ
人類が文字を使った観念思考を始めたのは、私権時代以降である。従って、人類がいまだ観念情報を統合する機能を持ち合わせていないのは当然で、これまで人類は、ほとんど観念思考をしたことがない。

原始人は、本能と共認機能をもって大自然を対象化しており、彼らが獲得した観念原回路も、本能と共認機能を駆使して形成されたものである。さらに、その観念原回路を使った精霊信仰も、本能と共認機能によって精霊を対象化しており、決して、言葉を使って対象化したわけではない。
文字を使った観念思考は私権時代に始まったが、それは、徴税や法律に代表されるように、主要には、国家の統合者が大衆を観念統合するためである。その後、庶民発の救い期待に応える宗教や、解脱欠乏に応える文芸も登場したが、僧侶や学者や文人など観念思考の専門家は、大半が統合階級の一員となってゆき、それら庶民発の解脱観念も、国家が大衆を観念統合するための道具の一つとして組み込まれていった。
その次の市場社会では、市場を支配する金貸しによって生み出された近代観念が、学校教育とマスコミを通じて末端にまで浸透する仕組みが出来上がり、一段と観念支配が進行してゆく。もちろん、ここでも、学者や文人やマスコミ人など観念思考の専門家は、大半が統合階級の一員である。

こうしてみれば、原始以来、大衆はほとんど文字を使った観念思考などすることなく、一貫して現実思考(現実を対象とする本能と共認機能を使った直感思考)で生きてきたといえる。他方、私権時代に始まった観念思考の専門家たち(=統合階級)の作った観念は、一貫して大衆を観念支配するための観念であった。とすれば、根本的な疑問が湧いてくる。
すなわち、大衆にとって観念は必要なのか?という疑問が。

生命は、常に最先端の可能性に収束する。サルは本能の限界を突き破った共認機能に先端収束し、人類はその共認機能の限界を突き破った観念機能に先端収束する。そして人類は、その観念内容を組み換えることによって、環境に適応してきた。
従って、観念機能は、人類の最先端機能であり、本能や共認機能が感取した問題情報は、常に観念機能に先端収束する。
加えて、本能情報や共認内容が互いに有機的に繋がりながら刻々と変化するのに対して、観念機能は単純なデジタル構造で、かつ意識的に追加してゆかない限り、それ自体は動かない。
そもそも、言葉や文字は単なる情報媒体なのではない。人類はサル時代から表情や身振りを頼りにしてきたが、それらの情報を含めて全ての情報は、意識や集団を共認統合するためにある。その統合度を上げるためには、刻々と変化する意識を固定・定着させた方がよい。そのために生み出されたのが言葉であり、さらにその先には言葉よりも一段と固定度の高い文字が生み出された。情報伝達の効率化という効用はその副産物に過ぎない。
従って、最先端に位置する観念(言葉や文字)は、その一つ一つが下部意識にとっての羅針盤の役割を果たしており、定着度の高い不動の観念が下部意識を支配する力は極めて強力である。

従って、観念内容を誤れば、人類は滅亡する。
とは云え、古代宗教も近代思想も、すべては現実から乖離した架空観念であり、現実は決してその観念の通りには動かなかった。従って、過去5000年間は、たとえ観念内容が間違っていても、それが直ちに滅亡に繋がることはなかった。現実世界は、私権収束(→私権圧力)によって統合されていたからである。
しかし、私権圧力=古い現実の圧力が豊かさの実現によって衰弱したことによって、現実世界は共認収束(→共認圧力)によってのみ統合されることになった。しかも、その共認圧力は、物的制約を脱した全く新しい同類圧力である。つまり、人類は物的制約を超えた新しい同類圧力のみが現実を形成する、全く新しい時代を迎えたのである。
それだけではない。原始時代のように、お互いの表情や気配が感じ取れる単一の集団なら、集団は観念がなくても共認統合できる。しかし、遠く離れた無数の集団によって形成されている超集団=社会は、観念の共認によってしか統合できない。
従って、現実=同類圧力そのものを対象化した事実認識(の体系)の共認が、現実を導き、動かしてゆくことになる。

もともと人類の最先端機能は観念機能であるが、人類は物的制約を脱したことによって、ついに観念共認によって現実が動く、本来の観念統合の時代に入ったのである。
換言すれば、人類は長い前史を終えて、ようやく人類本来の歴史を刻んでゆく夜明けの時代を迎えたといえるだろう。

ただ、観念とは別に現実が動いていた時代なら、たとえ観念内容が間違っていても現実は崩壊しない。しかし、観念によって全てが動く時代になれば、観念内容を誤れば、人類は滅亡する。
近代観念に支配された結果、自我を暴走させ、その果てに地球破壊と経済破綻の瀬戸際に追い詰められた、現代の人類がまさにそれである。

従って、今ほど、近代観念に代わる新理論が求められている時はない。にもかかわらず、観念思考の専門家たちは、誰一人、新理論の構築に取り組もうとしない。そして大衆は、理論を忌避し続けている。これは、まさに滅亡の構造であるが、それは、夜明けを迎えた人類の産みの苦しみなのであろう。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
芸能か、認識形成か

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