>近代の科学者たちは自然をあるがままに観るのでは無く、数学的形式にあてはまるように(都合よく)現実には存在しない抽象概念を創出しました。そして、事物の本質の探究よりも、数学的表現を用いて現象の定量的法則の確立を優先させたのです。 (『科学はどこで道を誤ったのか?』(11)〜“観念の絶対視”が近代科学技術の根本問題〜 260440)
“観念の絶対視”と言えば「宗教(一神教)」があり、一方で、生産力上昇(⇒科学技術の発展)を国力の源泉とする国家が形作ってきた「社会統合観念」があります。科学技術を考える上で、両者との関係が気になるところです。
そこで、キリスト教史の年表から、社会統合観念としての歴史を抜き出しました。参考にしてください。( リンク より)
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●1世紀
64 ローマの大火を理由として皇帝ネロがキリスト教徒を迫害する。
●3世紀
250 皇帝デキウスによる大迫害が始まる。
●4世紀
301 アルメニア王国がキリスト教を国教とする。当時のアルメニアは、ローマ帝国の従属国だが、国家の国教としては世界初。
303 皇帝ディオクレティアヌスがキリスト教禁圧令を出し迫害する。
313 ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ寛容令を発しキリスト教を公認する。
327 グルジアがキリスト教を国教とする(グルジア正教会)。
350頃 エチオピアがキリスト教を国教とする(コプト教・エチオピア正教会)。
361 皇帝ユリアヌス(背教者ユリアヌス)がローマ古来の宗教の復活を企てる。
391 皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教に定める
●5世紀
409 サーサーン朝ペルシア帝国が、キリスト教寛容令を出す。
●10世紀
950 デンマーク王ハーラル1世がキリスト教を公認
1000頃 アイスランドがアルシングにおいてキリスト教を国教として受け入れる
1000頃 スウェーデン王オーロフ・シェットコンヌングがイングランド人宣教師によって受洗
●11世紀
1014 デンマーク王クヌーズ2世がキリスト教を国教とする
1077 教皇グレゴリウス7世に破門された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が赦しを請う(カノッサの屈辱)
1099 十字軍がエルサレム王国を建国。アンティオキア公国などの十字軍国家も並立
●12世紀
1155 スウェーデン王エリク9世、フィンランドへ布教(北方十字軍)
●13世紀
1202 第4回十字軍がコンスタンチノープルを占領し、ラテン帝国を建国。
1217 ハンガリー王の十字軍がエジプトを攻撃する。
1245 第1リヨン公会議開催、フリードリヒ2世の皇帝位を剥奪。
1255 パリ大学がアリストテレス哲学の講義を開始する。
1273 パリ大学教授でドミニコ会のトマス・アクィナスが『神学大全』を完成する。
●16世紀
1532 神聖ローマ皇帝カール5世がプロテスタントを容認する
1534 イングランド王ヘンリー8世が国王至上法を発布してイングランド国教会を創設し、カトリック教会から分裂する。
1536 ヘンリー8世がイギリス国内の修道院を解散させる
1598 フランスでナントの勅令により、プロテスタントが容認される。
1600 スウェーデン、リンチェピングの血浴を行ない、ルター派を国教に定める。
●17世紀
1648 清教徒革命により、イングランドの王制が廃止され、共和国となる
1683 オスマン帝国の第二次ウィーン包囲失敗。キリスト教各国、神聖同盟を結び、イスラム教に反撃
●19世紀
1804 ナポレオン1世がローマ教皇より戴冠されフランス皇帝に即位する。
1864 教皇が「誤謬表」を発表して、近代思想を非難する。
1871 ドイツで体制側とカトリック教会側が対立し、文化闘争が行われる。教皇無謬説が原因でドイツの一部のカトリック教会が復古カトリック教会として離脱する。
●20世紀
1922 ロシア革命の結果としてソ連が成立し、これ以降ソ連政権下でロシア正教会は大弾圧を受ける
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