健康と食と医
259655 「一日三食」が日本人全体に普及したのは、わずか100年ちょっと前
 
斎藤幸雄 HP ( 48 愛知 建築設計 ) 11/12/18 AM08 【印刷用へ
一日三食という食習慣が日本人全体に普及したのは、明治の軍隊がはじめたことで、わずか100年ちょっと前。明治政府は、食べるものもままならなかった時代に三食を用意することで、軍隊の人員を確保したのが始まりのようです。

「一日三食」は食うや食わずの時代に生まれた食習慣。豊かになったこの時代には合わない食習慣なのかも知れません。

「生活習慣病に克つ新常識 まずは朝食を抜く! 」リンクより
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■一日三食という食習慣の誤り

 一日三食という食習慣も、肥満に一役買っています。

 今では一日三食を摂るのが常識となっていますが、そもそも三食という食習慣はいつ頃から、どういう経過を辿って定着したのでしょうか。簡単に歴史をふり返ってみましょう。

 その昔、日本でも人が自然の狩猟者に近い暮らしをしていた時代は、空腹になったら食物を求めて狩猟・採集するという生活をしていたに違いありません。おそらく奈良時代あたりまでは、狩猟と農耕を兼ねていたでしょうから、食事は一日一食、一日の労働が終わった最後に摂るのが普通でした。二食になったのは、栽培農耕が可能になり、食糧が保存できるようになってからと思われます。

 その時代、農民は夜明けと同時に起きて、野良で仕事をします。日本の夏は熱帯のように暑くなりますから、暑くなる前の一〇時頃には仕事を止めて、その日初めての食事を摂ります。食事のあとは「親が死んでも食休み」で、昼寝をします。二時間ほどたつと起き出して仕事をして、暗くなる前に晩の食事をして寝てしまう、というような生活スタイルでした。このような習慣はかなりあとまで、農家に残っていたところもあるようです。

 富裕階級も昔は二食でした。後醍醐天皇(在位一三一八〜一三三九年)の勅撰『日中行事』には、

「朝の御膳は、午の刻なり、(中略)申の刻に夕の御膳まゐる」

 と記されています。午の刻は、今の午前一一時から午後一時までの間をさしますから、昼頃にその日初めての食事を摂り、夕方暗くなる前に食事を摂って休んだのでしょう。

 三度の食事を摂るようになったのは、鎌倉時代、永平寺の開祖道元が、中国からその習慣を持ち帰ってからとされています。それが次第に支配階級や僧侶たちの間に伝わって、武士階級がすべて朝・昼・晩の三食を摂るようになったのは、江戸時代中期以降のことです。

 それが町民の間にも普及し、明治維新によって武士階級が崩壊して新政府が平民を集めて軍隊を作り、彼らに武士階級と同じ食事方式を採用したので、一日三食の習慣が全国的に普及するに至ったのです。

 明治政府は、軍隊に農家の二男、三男を募り、食べるものもままならなかった時代に三食を用意して、嫁ももらって暮らしていける条件をつくったという、貧しい中での食事情があったのです。

 こうしてみると、一日三食という食習慣が日本人全体に普及したのは、明治の軍隊がはじめたことで、わずか一〇〇年ちょっと前であり、とにかく腹いっぱい食べられるということで三食が制度化されたことから定着したとみて間違いないでしょう。

 どうやら私たちは、食うや食わずの時代に生まれた食習慣を大切に持ち続け、いつの間にか健康の源であるかのように思い込んできてしまったようです。食物が不足していた時代のやり方で食物が余っている時代を過ごせば、からだに矛盾が生じるのは当然です。

 今では一日三食の習慣はしっかり生活に組み込まれ、病院をはじめ社会全体が三食摂取ということで成り立っていますが、そろそろ見直してもいい時期に来ているのではないでしょうか。

 -----------------------------------------------------以上、抜粋
 
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