引き続き、実現論・序の研修会の要約です。
●では、形骸化しても尚、王が残るのは何故か?
根本的には大衆の安定期待がある。そこそこ生活できている状況では王権の転覆など誰も期待しておらず、大衆の期待がない以上、官僚たちが反乱を起こす大義名分が生れない。むしろ、王の世代交代の度におきる無用な権力争いを避けるには、王を世襲化したほうが良い。
それに、もしクーデターを起こせば官僚だけではなく教団勢力や武装勢力も掌握しなければならず、その上、必ず成功するという保証も無い。そんな苦労をするよりも、王を奉っておいて、官僚機構の中で甘い汁を吸っていた方が得である。
このように、お飾りにすぎない王権が残り続けたのは、直接的には楽して旨い汁が吸えるという官僚たちの思惑もあるが、根本的には、大衆の安定期待が統合秩序の維持=王権の継承を当然化させたからである。
●このケースは欧州や中国には当てはまるが、日本ではどうか?
奈良・平安時代から日本の庶民たちは支配階級のことはどうでもよいと捨象してきた。
日本の庶民は縄文体質(受け入れ体質)であるが、長年中国に服属することでその地位を保ってきた朝鮮の支配階級は悪しき力の原理が骨身に染み付いており、上にはとことん隷従し下にはとことん横暴に振舞うという最悪の支配体質であった。その後の朝鮮における両班と呼ばれる支配階級が中国や朝鮮国王には屈従する一方で、大衆からはエゲツナイ収奪を繰り返したことからもそれは伺える。
悪しき力の原理主義者である朝鮮発の支配者と縄文人の体質は水と油である。従って、縄文人は朝鮮から渡来してきた支配者を表面上は「お上」として奉りながら、心の底では「自分たちとは無関係なもの」として捨象してきた。つまり、日本人のお上意識とは正確には、お上を捨象する意識なのである。
その後の鎌倉〜江戸時代の武士階級は縄文的な土着性を強く残していたが、この武士政権も基本的にお上(天皇家や公家)を捨象した。ただ政権を担う正当性を確保する必要から、天皇にお墨付きを出させたにすぎない。
他方、朝鮮から来た支配階級にとって、縄文人は信じられないくらい素直で従順であり、ほとんど戦争をすることなく、支配体制が受け入れられていった。世界の常識では当たり前の、力の原理に物を言わせて従わせるということが、縄文体質の世界では全く不要なのである。これは世界的に見ても極めて特異なことである。すると、支配階級の側も力で制圧するのではなく、縄文人たちと仲良くやった方が得→庶民の生活が第一という意識が形成されてゆく。このように「みんなのため」「民の生活第一」という発想が日本の支配階級の間で形成されたのも、庶民大衆が縄文体質だったからである。
(実際、幕末に日本にやってきた西欧人が、江戸城の生活が実に質素なことに驚いているが、これも日本の支配者が「民の生活第一」であり、民からの収奪がさほど大きくなかったことの傍証である。)
庶民は「お上捨象」で、支配者は「民の生活第一」という世界でも稀な特異な体質が下にも上にも形成されたのは、日本人の縄文体質(受け入れ体質)の結果である。
そして、日本の天皇家が存続してきたのは、上も下も秩序安定期待が第一で、天皇家を奉っておくのが、秩序安定上最も無難だったからである。 |
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