仕事を通して、地元の方々が集まる会合に出席する機会があるのですが、その中で面白い出来事がありました。
その会合は、3学区各々の会長、副会長以下、役員の方々が集まる会合で、3学区共通の議題を扱う会合です。学区は1つの地域集団的な色彩を帯びていますので、3学区の会合となると集団統合を超えた課題としてその運営にも一段と頭を使うことになります。当然地元の方々も3学区の皆が納得できる、充足できる方向を目指しているのですが、その方法はいわゆる民主的な運営で、学区ごとの利害対立が出ないよう議長を輪番性にし、多数決をとり、広く3学区からの意見、要望を取り入れようという運営となっていました。しかし、その一方で思うように物事は前に進まず、何時までも反対する意見が後を絶たない、結論に収束しない・・というもどかしさもあったようです。
当然時間は無限にあるわけではないので、決断が必要になってきますが、そんな時とある地元の方からこんな発言が。
「これからは、このプロジェクトを実現の方向にむけていかなくてはいけない。それであれば、輪番性で平等に議長を務めるのではなく、この面子の中から一番的確に判断できる議長を1人に絞り、その方に皆の判断を一任するのが良い。」
「そして、このプロジェクトで何を一番に実現するのかを、もう一度私たち自身が勉強し、その事を色んな要望を出す方々に対して、私たち自身が語れるようにならなくてはならない。」
と、非常に納得できる言葉が出されました。そして、この意見を待ってましたと言わんばかりに、皆の意識がその意見に収束しました。
現在は至るところで皆の充足を実現する時代にあります。単に議論だけしているのではなく、また自集団の要望を叶えることだけに充足する時代でもありません。この会合に集まっていた地元の方々も求めているのは文字通り皆の充足。その皆の充足を実現するためには、誰の中にもある皆の期待と通じた潜在欠乏の発掘と、その実現のための具体策を追求、そしてそのためにも自分自身が物事をもっと勉強する必要性があります。
民主主義というのは、実現する意志のない誤魔化しの観念です。本気で皆の充足を実現しようとしたとたんに、上記会合のように民主主義はすぐに崩れだし、自ずと一点に収束するための人・認識に意識は向かうのでしょう。 |
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