前述のホッブズは、「人権」という概念を思想的に提示した最初の人物といわれていますが、ただ、その概念は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言、また現在の日本国憲法に謳われている基本的人権の概念とは、実は、異なるものであったことは注目されます。
前者は「自然権」=「人権」を放棄すべきものと見なしているのに対し、後者においては、それは絶対的によいもの、至上のもの、ただそのままに主張すべきものとされ、その基本的人権を保持するのが政府の役目であるというふうに転倒されています。
人権が何によって保証されるか、という根拠は一切問われることなしに、「近代的個人」なるフィクション(神にも習俗にも縛られず、自分の意志を至上のものとし、自己の要求を「権利」としてふりかざす人間のあり方)とともに、「基本的人権」なるものが、絶対的な位置に祭り上げられたわけです。自らの首筋をつかんで、自らを宙に持ち上げるとしか形容のしようのないアクロバット的転回ともいえます。
こうしたインチキとしかいいようがない「人権」概念が受け入れられ、拡大した背景には、搾取によって台頭してきた中産階級が商品市場のさらなる拡大を求めていたという事情があり、さらにその背後には、自由な性市場への欲求があったことは実現論に書かれているとおりであると思います。
※参考文献:「民主主義とは何なのか」長谷川三千子
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