日本を守るのに、右も左もない
254443 民主主義とは何なのか−1−われとわれとが戦う病、理性を使わせないシステム
 
11/07/16 PM01 【印刷用へ
『民主主義とは何なのか』長谷川三千子著 文春新書
〈結語〉−理性の復権− を紹介します。
長谷川氏の言う「理性」とは、自然の摂理に学び、歴史に学び、先人の知恵に学ぶこと、そのことを示しているのではないかと思います。
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結局のところ、民主主義(デモクラシー)とは何なのかと言えば、それはその名の通りのもの――民衆(デーモス)が力(クラトス)によって支配権を得る体制――である。それは「われとわれとが戦う病い」から生まれ出て、しかも、その病いをどこまでも引きずり続けるイデオロギーである。近代民主主義の理論として世の中に受け入れられている「国民主権」「人権尊重」といったものも、実はすべて、「われとわれとが戦う病い」を正当化するために拵え上げられた理窟にすきないのであって、その中身がいかにインチキで無理無体のものであるかということは、いま見てきたとおりなのである。

しかし、だからどうだと言うのだ、と反論する人もあろう。民主主義が革命によって生まれ、革命を引きずり続けているというのは、糾弾すべきことであるどころか、民主主義が「反体制」「権力批判」の原理であることの証しであって、むしろ大変結構なことではないか――そんな風に言う人も少なくないであろう。

実際、ひとたび「反体制」「権力批判」といった言葉を自明の大前提として据えてしまうと、そこには一種の「革命礼讃の思考回路」といったものが出来上って、その回路を抜け出してものを考えるということが不可能となってしまうのである。たとえば、かつて日本の多くの大学で全共闘運動というものが嵐のように吹き荒れたとき、多くの学生たちがはまり込んだのも、その「反体制」という閉じた思考回路なのであった。彼らは自らを「ラディカル」と称して、その回路の中をどれだけ早く、どれだけ激しく走れるかを競い合ったのであるが、そこで唯一つ、彼らが決してしようとしなかったのは、その「反体制」がなぜよいのかを根源的(ラディカル)に問いかける、ということであった。むしろ、それを問いかけずにすませるために、彼らはますます早く、ますます激しく、こまねずみのようにその閉じた回路の中を走り回ったのである。やがてその運動が消滅したあとも、彼ら一人一人の内に、その「思考回路」――もう少し正確に言えば、その思考停止の回路――だけは残った。そして、実はまさに、「思考停止」ということこそ、民主主義が自らの最上の武器、最上の従者として従えてきたものなのである。

一口に言えば、民主主義とは「人間に理性を使わせないシステム」である。そして、そのことが、革命から生まれ出てきた民主主義の持つ最大の欠陥であり問題点なのである。

こんな風に言うと、意外と思われる方もあろう。たしかに、よく知られているとおり、フランス革命を支えた思潮の一つは「啓蒙思想」であって、そこでは「理性」が何よりも重んじられたはずなのであった。たとえばバークが当時のフランス人たちの啓蒙主義を評して「偏見の上衣を投げ捨てて裸の理性の他は何も残らなくする」と語ったとおり、そこでは、人間の「理性」は、神を疑い、すべての慣習を無意味な偏見として投げ捨てるための強力な武器として、大いに活躍したのであった。それを見ると、民主主義はむしろ「理性しか使わせないシステム」とも言うべきものであり、そこが民主主義の問題点であると言わねばならないもののようにも思われる。

けれども、フランス革命当時の啓蒙主義者たちがふり回していた、このような「理性」は、実は本当の意味での理性ではない。少くとも、古今東西の人間たちが真の知を求めるときに用いてきたものを理性と呼ぶのだとすれば、彼らがふり回したのは理性ではない別の何かである。そのことは、バークの次のような描写からはっきりとうかがい知ることができる。
「彼らは他者の智恵にまったく敬意を払いません。他方、自分自身のそれには、満腔の自信を以て(敬意を)捧げます」
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