>日本人・中国人・インド人・イスラム人が共認収束⇒規範収束したのに対して、西洋人は自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神に収束したのである。この唯一絶対神は、現実の富の拡大や私権意識を捨象した奇麗事の結晶物である。このように、現実共認と宗教共認の分裂(二元化)は西洋の特徴なのである。
ここから考えると、西洋の歴史とは世界的にみても特殊なように感じる。にもかかわらず、日本で学ぶ歴史や事象はどれも「西洋が世界の中心」であるかのように教えられる。
西洋では歴史上で略奪闘争が繰り返されてきた。拠点の制圧や残存勢力の掃討するだけでなく、戦利品を略奪するために、抵抗した民族を皆殺しにする。その歴史が繰り返される為、人々は何を信じていいか分からず、結果、観念収束せざるをえない環境に追い込まれる。
一方、他国は覇権闘争による支配と服属が中心であった。そのため、拠点や権力を得ることができれば、それ以上は殺さない。そのため、覇権闘争に巻き込まれない、支配階級によって支配されている人々は、規範秩序に収束して安定を求めることとなる。
規範秩序に収束して安定を求める共同体性が、世界的にみても大きな精神構造であるはずなのに、学校で学ぶ歴史では西洋の略奪闘争が普通かのように教えられる。
西洋の歴史が世界の中心なのではなく、西洋の歴史こそが世界的には特殊なのだということを、これからの教育で伝えていく必要がある。 |
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