実現論を塗り重ねてゆく
253165 明治“天皇”の位置づけ
 
西村真治 ( 40代 滋賀 建築設計 ) 11/06/17 PM10 【印刷用へ
江戸時代、完全に政治の圏外に置かれていた天皇は、明治時代に表舞台に担ぎ出されていく。表舞台と言っても、新体制の基礎固めのためであり、統治する立場ではなく、また自ら発言する訳でもなく追認する立場でしかなかった。

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天皇統治の性格 リンク より、転載・抜粋します。

[5] 明治天皇

一八六七年、二六○年あまりに渡った江戸時代が終わり、王政復古の大号令の元に天皇中心の新政府が樹立された。
                         
明治政府は今までの体制を廃止し、新しく総裁・議定・参与の三職を置き、神武創業の頃に戻ることを施政方針として掲げた。この様にして天皇中心の新体制が誕生するわけだが、明治天皇は最初から専制君主として登場したわけではなく、政務は総裁がその役割を持っており、天皇がすべての政務を採決するわけではなかった。このことに関して司馬遼太郎氏は次のように述べている。                              

「明治帝はその間(小御所会議)御簾の中にちゃんといるんですよ。しかし、ただの一度も発言はない。
天皇が影を表すということだけでも、政治の力を強めることが出来るという意味での保証的機能をうながしたのが、この時期の天皇のあり方であった。」                               
明治初期においての天皇の位置は、まだ君主と言うには遠く、どちらかと
言えば祭司の役割の方が重んぜられていたのである。

内外の危機を乗り越え成立した明治新政府であったが、この当時政府としての基盤はまだ固まっておらず、さらに欧米列強の植民地主義政策の圧迫もあり、基盤固めは急を要していたのである。

そのためには天皇の権威を持って、新政府をまとめて行かなければならないような状態であった。明治四年になると、官制を太政官制へと改め、律令官制にならって整備され、太政大臣が天皇を補佐する事になった。

新政府へ結びつけ、新政府の基盤を固めようとしていく。この動きは、明治六年の征韓論をめぐる内紛を機に、岩倉・伊藤を中心として、天皇が政治面で積極的に力を発揮出来るような形での憲法作成という方向で結実していく。                        

「天皇は政府自体からも政府を攻撃する世間からも、さらに一段と政治性を発揮するよう求められる、という実状であった。」(*15)        

この様な動きの中で明治二二(一八八九)年。天皇主権を基本原則として定めた大日本帝国憲法が発布される。この憲法発布によって、明治天皇は国家元首として行政・立法・司法の三権を含む統治権を総覧するという強大な行政権を持つことになったのである。これは、天皇制絶対主義国家の誕生を思わせる。しかし、現実には大分隔たりがあった。

つまり、明治天皇は統治権の総覧者ではあっても、実際の統治権行使は無かったのである。従って明治憲法の成立をもって絶対主義的立憲君主国家の成立とはみることは出来ないのである。                    
為政者が、天皇は政事に関与すべしと判断した場合、天皇が政事に関与することは天皇古来の祭司性とは何の矛盾を生じるものではなかった。明治天皇の場合も、政府や国民の強い要望の結果、強大な統治権を持つに至った。

しかし、明治天皇が重大な政治的決定を下したという事実はみられず、政務は為 政者に任せていて、かえって祭事に力を入れ、伊勢神宮に親拝されることは四回を数え、又、

「とこしえに 民安かれと祈るなる わが世をまもれ 伊勢の大神」

の御製には、国と民を愛し、神への祈りを捧げる私心泣き大祭司としての天皇の姿を知ることが出来る。絶大な政治権力を保障された明治天皇だったが、決して専制君主というものではなく伝統的大祭司としての天皇であったと言える。

(引用、終わり)
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