日本の支配階級たち(裏天皇や旧陸軍勢力)がやってきたことを再度、俯瞰してみる。
明治維新や日露戦争まではロスチャイルドのおかげで成功したと言えても、太平洋戦争では大量の戦死者を出し、日本は焦土化し、最後には原爆を落とされて悲惨な敗戦を喫した。続いて25年前、御巣鷹山事変で米ソに戦闘を仕掛けた証拠を握られて屈服し、プラザ合意以降、日本の財産を巻き上げられ続けてきた。また、平行して日本中に原発を50基も建てまくって、今や日本中を汚染している。
こうして俯瞰してみると、裏天皇や旧陸軍勢力がやってきたことは、ことごとく日本を破壊することばかりではないか。
それに対して、庶民はどうだったか?
日本は縄文時代まで共同体社会であった。庶民(縄文人)にとって外からやってきた支配者たちの世界は、自分たちには無関係な世界であった。庶民にとっては自分たちの共同体の共認充足が維持できればそれでよいので、支配階級の世界は捨象してきたと言ってもよい。「お上」という言葉が、自分たちとは無関係であって、「どうでもよいもの」という庶民の感覚を良く示している。だから日本人は社会や政治を捨象し、観念も捨象してきたのである。
このような庶民の意識をいいことに、朝鮮から来た支配階級はやりたい放題の権力闘争を繰り返してきた。この土台の上に明治以来の試験制度が塗り重ねられると、試験制度の勝者である少数のエリートも、支配階級の価値観に染められ、組み込まれてゆく。
一方で日本の支配階級には、民の生活第一という価値観が底流として存在したのも事実であるが、それは次のような理由からである。
朝鮮から来た支配階級にとって、縄文人は信じられないくらい素直で従順であり、ほとんど戦争をすることなく、支配体制が受け入れられてきた。世界の常識では当たり前の、力の原理に物を言わせて従わせるということが、縄文体質の世界では全く不要なのである。これは世界的に見ても極めて特異なことである。すると、支配階級の側も力で制圧するのではなく、縄文人たちと仲良くやった方が得→庶民の生活が第一という意識が形成されてゆく。このように「みんなのため」「民の生活第一」という発想が日本の支配階級の間で形成されたのも、庶民大衆が縄文体質だったからである。
しかし、支配階級が国民生活第一だったのも、’85年御巣鷹山事変までの話である。アメリカに弱みを握られて言い成りになり、その上、金融危機で追い詰められたロスチャイルドやロックフェラーの日本に対する要求が苛烈になるに従って、日本の支配勢力は国民生活のことなど全く考えなくなってゆく。 |
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