古代社会
247170 3/13なんでや劇場(4) 略奪集団であるが故に自我の塊になった西洋人
 
冨田彰男 ( 47 兵庫 経営管理 ) 11/03/15 AM00 【印刷用へ
●しかし、ここまでは世界共通で、コーカソイドもモンゴロイドも変わりがない。

では、白人と、セム族・ハム族や北方モンゴロイドを分かつものは何か?

白人の特質を形成した直接的な原因は何か?

その半答えも『実現論』にある。

『遊牧派生の邪心集団による掠奪闘争は極めて激しい容赦の無いものとなり、皆殺しが常態となる。従って、仲間を皆殺しにされて一人二人と生き残った者たちは憎悪と警戒心の塊となり、共認基盤を失って終ったことと相俟って、全面的にかつ強く自我収束する。そんな者たちが生き延びる為に寄せ集めの新たな掠奪集団を形成しては他部族を襲うという形で、数百年に亙って掠奪闘争が繰り返された。そんな生き残りの末裔が、西洋人である。それ故に、本源共認の基盤を根こそぎ解体して終った西洋人は、本源的な共認収束力≒集団収束力が極めて貧弱で、自我収束が極めて強い。しかし、自我だけでは共認を形成できない。そこで彼らは、専ら自我に基づく本源風の架空観念に収束し、架空観念で共認を形成する。』

皆殺しでなくても、略奪闘争から逃げ延びた者たちや逃亡奴隷たちは、山賊になるしか生きる術がない。つまり、西洋人の出自は略奪集団に他ならない。彼らは部族or氏族を解体されてしまった者たちであり、各人の出自はバラバラで、利益獲得という一点の目的の下に集まった人口集団である。

それに対して、セム族・ハム族や北方モンゴロイドは氏族共同体として行動しており、集団の統合軸として規範共認が残存している。

地理的に言うと、地中海沿岸は例外なく山賊・海賊集団だらけになったが、アナトリアやコーカサスは一部は山賊・海賊集団だが、多くは部族共同体が残存し、モンゴル高原は部族共同体がそのまま生き残っている。

人類集団は500万年もの間、共認原理、つまり規範共認で統合されてきたが、略奪闘争によって共同体・規範を失った西洋人は何を共認して生きてきたのか? 利益第一共認はもちろんだが、その目的共認だけでは集団は統合できない。何らかの規範や制度が必要になるが、それら全てを頭の中で人工的な架空観念という形でゼロから捻り出すしかない。

例えば、利益の山分けを求めて、逃亡奴隷や滅亡部族の生き残りが集まる。彼らを統合するには「戦利品は平等に分配する」という約束事=契約が不可欠である。そして、それまでは交易部族でも財は部族の共有であったが、平等分配契約によって個人所有に変わる。これが現代に繋がる西洋人の平等観念の原点であり、ギリシアの民主制もギャング集団を統合するための組織論に他ならない。

ここで、「縄文人も平等な分配をしていたが、それとどう違うのか?」という質問が出たが、500万年もの間人類を育んできた共同体を、ギリシアのチンケな平等概念で捉えようとすることがそもそもの間違いである。

共同体では必要に応じて分配し消費されるのであって、形式的に平等に分配されるのではない。あるいは、物事を決める時も、成員全てが「集団をどうする?」という当事者意識をもち、その共認空間の中で全てが決められる。当然、全員一致である。

それに対して、西洋流の民主主義は形式的に一人一票が与えられ、多数決で物事が決まる仕組みである。これは、各人の利益が対立していることを前提とした制度(もう少し詳しく言えば、どうにもならない武力や資力で支配した上で、その支配を隠蔽するための騙し)に他ならない。

そういう意味で、西洋流の平等も民主制も自然の摂理から大きく逸脱した、珍妙な概念や制度であると言わざるを得ない。

近代以降、学校をはじめとして至る所で、西洋こそ民主主義の先達であると説かれるが、それは全くの嘘であって、多数決という強制決定ではなく、常に合意を図りながら物事を進めてゆく日本人の方が(本来の意味において)はるかに民主的である。また、貧富の差や身分格差の小さい日本人の方が(本来の意味において)はるかに平等である。

震災時にも助け合うのが日本人だが、西洋人は災害時にここぞとばかり略奪を始める。西洋人は口では奇麗事を言っているが、本音の所では略奪or支配することしか考えていない。そういう意味で、西洋人が作り出した自由も平等も民主主義も全ては騙し観念である。

近代以降、西洋は己に都合の良い騙し観念を全世界に押しつけてきたわけだが、今や世界中がその騙し性に気づきつつある。現在、アラブ世界で起きていることはその現れであるし、南米ではそれ以前から、西洋の騙し観念に対する反発が顕在化している。日本でもそろそろ登場するであろう。
 
  List
  この記事は 247167 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_247170
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
282852 弱者が生き残った史実 〜共生という文化を持ったモンゴロイド〜 匿名希望 13/10/30 AM02
血塗られた砂糖の歴史 「にほん民族解放戦線^o^」 13/10/23 AM10
もっとも効率的な生産様式は「掠奪」である。大英帝国は海賊立国であった。 「にほん民族解放戦線^o^」 11/05/04 PM11
3/13なんでや劇場(4) 略奪集団であるが故に自我の塊になった西洋人 「日本を守るのに右も左もない」 11/03/21 PM05
247640 心配してくれている西洋の友人達がいる パルタ 11/03/21 PM04
247179 3/13なんでや劇場(5) 西洋人の精神構造と異常な性意識 冨田彰男 11/03/15 AM03

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
超国家・超市場論1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?
超国家・超市場論2 闘争(能力)適応 と 共生(取引)適応
超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ
超国家・超市場論4 同類闘争の圧力と共認統合の限界
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
超国家・超市場論6 生存圧力に基づく同類闘争から、同類圧力に基づく同類闘争=認識競争へ
超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である
超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会
超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない
超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源
超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
超国家・超市場論15 『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
超国家・超市場論17 新しい社会統合機構が、国家機関を吸収・解体する
超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
超国家・超市場論20 認識形成は遊びではない、生産活動である。
超国家・超市場論21 『認識形成の場』が、なぜ有料化されるべきなのか?
超国家・超市場論22 お金は、現実の必要度を測るモノサシ
超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく
超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく
超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?
超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する
超国家・超市場論30 実現の論理
判断の土俵と解体・再統合 大学の例
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
社会統合組織の史的総括 国家と教団
社会統合組織の史的総括 市場と演場
大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく
マイナス原因構造とプラス実現構造という両輪
支配階級の私有権は絶対不可侵だが、庶民の私有権は剥奪され得る

『るいネット』は、48年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp