ラピタ人の概要続きです。
ラピタ人が、航海民・交易民であったかどうかは一考が必要(単に、海流に流された可能性も高い為)ですが、カヌーを利用した採取・漁労部族(リンク)であったようだ。
その証拠に、イモ類などの採集を縄文土器に類似した土器で料理し、カヌーで漁労に出ていたことは想像が付く。
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以下サイトリンク
より転載します。
人類史上初めての本格的な航海民として
海洋世界に活路を見出していった交易民だった彼らは、遠くの島々まで黒曜石の石材や土器を持ち運んでいた。
ラピタ人は忽然と現れ、いつの間にか姿を消していった。
まさにラピタ人は幻の海洋民族である。
前1600年頃 - 前1300年頃
オセアニアにラピタ文化広がるオセアニア最古のラピタ式土器が、メラネシアに属するニューギュニア付近のビズマーク諸島からポリネシアのサモアにかけての広い地域で発見されている。
年代はもっとも古いもので前1600年、新しいものは紀元前後だった。
ポリネシアへこの文化をもたらした人々(オーストロネシア人)は、メ
ラネシアをへて前1300年ごろにはフィジーから
西部ポリネシアのトンガ、サモアに定着したと考えられている。
★彼らはカヌーをつかった航海術をもつ海洋民だったが、タロイモや ヤムイモを栽培する農耕民でもあった。
土器とともに発掘された黒曜石から、彼らが千数百kmもはなれた
【広大な交易圏】をもっていたことがわかる。
ポリネシアでは紀元前後から数百年の間に土器をもちいなくなり、
焼石をつかった蒸し焼き料理(石焼き料理)が現在まで調理の中心となっている。
縄文人の仲間たち (片山 一道)
何故、太平洋の中枢部にアジア人の仲間たちが存在するのか。
その理由は、ポリネシア人の祖先が辿って来た道のりを
考えれば理解できる。
ポリネシア人の母体となったのは、
間違いなく【ラピタ人と呼ばれる先史民族】であった。
ラピタ土器という独特の装飾土器を持つことで知られるラピタ人は、今を遡ること四千年から二千年前の頃、ニューギニアのビスマーク諸島からメラネシアの島々、さらに西ポリネシアのトンガやサモアのあたり一帯に分布していた。
彼らの存在を知る最古の遺跡は、その分布圏の北端かつ西端でもあるビスマーク諸島の北部で見つかった。
【ラピタ人】
オセアニアにラピタ文化広がる 前1600年頃 - 前1300年頃
オセアニア最古のラピタ式土器が、メラネシアに属するニューギニア付近のビズマーク諸島からポリネシアのサモアにかけての広い地域で発見されている。年代はもっとも古いもので前1600年、新しいものは紀元前後だった。ポリネシアへこの文化をもたらした人々(オーストロネシア人)は、メラネシアをへて前1300年ごろにはフィジーから西部ポリネシアのトンガ、サモアに定着したと考えられている。
★彼らはカヌーをつかった航海術をもつ海洋民だったが、【タロイモやヤムイモを栽培する農耕民】でもあった。土器とともに発掘された黒曜石から、彼らが千数百kmもはなれた広大な交易圏をもっていたことがわかる。ポリネシアでは紀元前後から数百年の間に土器をもちいなくなり、焼石をつかった蒸し焼き料理(石焼き料理)が現在まで調理の中心となっている。 |
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