[heuristic ways]のサイトより『家畜化と社会余剰(リンク)』と題しての記事を転載します。遊牧前の状況が分かります。
---------------------------------------転載
農耕と牧畜の起源という問題について他に参考になる本はないかと書店で探したところ、今西錦司・池田次郎・河合雅雄・伊谷純一郎『世界の歴史1 人類の誕生』(河出文庫、1989年)という本があり、この中に「農耕はじまる」「牧畜はじまる」という章があった。
この本の考察で興味深かったのは、野生植物の栽培化ということに関して、それがたんに人間による植物の選別や利用であるだけでなく、むしろ「植物のほうからはじまった人間への適応」が結果として「人間と栽培植物のあいだの相互適応」を生み出したと見ていることである。
そして同じことは家畜化した動物に関しても当てはまるのではないかと、著者は推測している。
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植物あるいは動物が、こうしてまずむこうから人間的環境に適応することによって、人間に対する第一次的な歩みよりをとげたのちに、認められればとりあげられて、栽培化あるいは家畜化の待遇を受けるようになるという場合も少なくない。
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著者によれば、イヌは「人間が飼養をはじめた最初の動物」だが、「イヌを牧畜の対象ということで、家畜に数えるのは、おかしなものである」。
イヌ以外で、どの動物の家畜化がいちばん古かったかということに関しては諸説あるらしい。シベリアにおけるトナカイの家畜化がいちばん古かったという説(ウィルヘルム・シュミット)もあるが、いまではこの説に反対する人が多い。西アジアにおけるヒツジの家畜化がいちばん古いという説も出ていて、著者は「決め手」はまだ提出されていないというが、どうやらこの説が有力だと見ているようだ。
家畜化の方法に関して、著者の発想が刺激的なのは、「人間が個々のヒツジをだんだん馴化するのではなくて、ひとつのヒツジの群れを、群れごと一挙にして手に入れた」のだと見ていることである。「群れにはちゃんとリーダーというものが存在して」おり、「リーダーが逃げれば他のものも逃げるけれども、リーダーが逃げなければ他のものも逃げない」。だからリーダーを手なずけることによって、群れ全体を帰属させることができたのだと。この点で、著者は、「群れを人間に帰属させる手段として、まず群れの中から幼獣をとらえてくるという、梅棹忠夫の幼獣捕獲説には賛成しかねるところがある」と批判している。
さらに興味深いのは、この家畜化=牧畜の成立ということによって、人間と家畜化された動物との間に、「保護者と被保護者」の関係、つまり新たな「社会的な組織づけ」が生じた、という洞察である。
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…こういう砂漠にとりかこまれ、草の不足しがちなところに住みついた人間と動物とが、いつまでも食うものと食われるものの関係にあるということは、どちらにとっても生活の脅威である。それを牧畜にきりかえたところで、食うものと食われるものの関係が、なくなるわけではないけれども、牧畜をとおした相互適応による共棲関係とは、いままでの食うものと食われるものの対立を、いちおう保護者と被保護者という、一種の順位関係によって調整統合し、これによって、そこにいままでみられなかった社会的な組織づけが、新しく生じたものと解することができるのである。
したがって、いままでどおり何頭かが人間に食われていても、それは保護してもらうことに対して被保護者がわの払う、一種の税金のようなものとみてよいのかもしれない。
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これはほとんど人間と家畜との間の政治的関係(=統治)の成立といえるだろう。そして実は、ここから、人間による人間の「家畜化」(=統治)、新たな「社会的な組織づけ」の発生はあと一歩なのである。
---------------------------------------2に続く |
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