採集・漁撈・狩猟から栽培・牧畜・遊牧へ
246858 家畜化と農耕と遊牧、都市国家1〜家畜化と社会余剰〜
 
彗星 ( 中年 ) 11/03/08 PM05 【印刷用へ
[heuristic ways]のサイトより『家畜化と社会余剰(リンク)』と題しての記事を転載します。遊牧前の状況が分かります。
---------------------------------------転載
農耕と牧畜の起源という問題について他に参考になる本はないかと書店で探したところ、今西錦司・池田次郎・河合雅雄・伊谷純一郎『世界の歴史1 人類の誕生』(河出文庫、1989年)という本があり、この中に「農耕はじまる」「牧畜はじまる」という章があった。
 この本の考察で興味深かったのは、野生植物の栽培化ということに関して、それがたんに人間による植物の選別や利用であるだけでなく、むしろ「植物のほうからはじまった人間への適応」が結果として「人間と栽培植物のあいだの相互適応」を生み出したと見ていることである。
 そして同じことは家畜化した動物に関しても当てはまるのではないかと、著者は推測している。
///////////////////////////////////
植物あるいは動物が、こうしてまずむこうから人間的環境に適応することによって、人間に対する第一次的な歩みよりをとげたのちに、認められればとりあげられて、栽培化あるいは家畜化の待遇を受けるようになるという場合も少なくない。
///////////////////////////////////
著者によれば、イヌは「人間が飼養をはじめた最初の動物」だが、「イヌを牧畜の対象ということで、家畜に数えるのは、おかしなものである」。
 イヌ以外で、どの動物の家畜化がいちばん古かったかということに関しては諸説あるらしい。シベリアにおけるトナカイの家畜化がいちばん古かったという説(ウィルヘルム・シュミット)もあるが、いまではこの説に反対する人が多い。西アジアにおけるヒツジの家畜化がいちばん古いという説も出ていて、著者は「決め手」はまだ提出されていないというが、どうやらこの説が有力だと見ているようだ。
 家畜化の方法に関して、著者の発想が刺激的なのは、「人間が個々のヒツジをだんだん馴化するのではなくて、ひとつのヒツジの群れを、群れごと一挙にして手に入れた」のだと見ていることである。「群れにはちゃんとリーダーというものが存在して」おり、「リーダーが逃げれば他のものも逃げるけれども、リーダーが逃げなければ他のものも逃げない」。だからリーダーを手なずけることによって、群れ全体を帰属させることができたのだと。この点で、著者は、「群れを人間に帰属させる手段として、まず群れの中から幼獣をとらえてくるという、梅棹忠夫の幼獣捕獲説には賛成しかねるところがある」と批判している。
 さらに興味深いのは、この家畜化=牧畜の成立ということによって、人間と家畜化された動物との間に、「保護者と被保護者」の関係、つまり新たな「社会的な組織づけ」が生じた、という洞察である。
///////////////////////////////////
…こういう砂漠にとりかこまれ、草の不足しがちなところに住みついた人間と動物とが、いつまでも食うものと食われるものの関係にあるということは、どちらにとっても生活の脅威である。それを牧畜にきりかえたところで、食うものと食われるものの関係が、なくなるわけではないけれども、牧畜をとおした相互適応による共棲関係とは、いままでの食うものと食われるものの対立を、いちおう保護者と被保護者という、一種の順位関係によって調整統合し、これによって、そこにいままでみられなかった社会的な組織づけが、新しく生じたものと解することができるのである。
 したがって、いままでどおり何頭かが人間に食われていても、それは保護してもらうことに対して被保護者がわの払う、一種の税金のようなものとみてよいのかもしれない。
///////////////////////////////////
これはほとんど人間と家畜との間の政治的関係(=統治)の成立といえるだろう。そして実は、ここから、人間による人間の「家畜化」(=統治)、新たな「社会的な組織づけ」の発生はあと一歩なのである。
---------------------------------------2に続く
 
  List
  この記事は 241514 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_246858
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
348531 遊牧・牧畜と無縁な日本人の生命観 彗星 19/08/15 PM10
246859 家畜化と農耕と遊牧、都市国家2〜家畜化と社会余剰〜 彗星 11/03/08 PM05

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
素人の社会活動19 素人と創造
素人の社会活動26 創造の資質
素人の社会活動27 実感投稿と現象発掘が会議室の生命
素人の社会活動28 現実を対象化する=思考する
素人の社会活動29 私権時代の歪んだ思考(主張・説得・議論)
素人の社会活動30 現実を対象化する思考=事実認識
素人の社会活動33 投稿様式の模索
素人の社会活動34 創造(=探求)のパラダイム転換
素人の社会活動35 素人こそ創造者(論点の整理)
素人の社会活動36 探求思考と説明思考⇒表出(会議と投稿)のパラダイム転換
素人の社会活動37 表出規範(or思考規範・表現規範)
共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉)
共認革命7 錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある
共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を
共認革命9 強制共認と発信階級の犯罪
共認革命10 新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである
共認革命11 皆が次々と投稿するだけで、まつりの引力が生み出される
現実否定の自己欺瞞
社会運動の自己欺瞞
「現実=自分自身」は事実認識(構造論)の核心部
「まず実践」の問題性
市民という言葉の欺瞞
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
旧観念と新しい概念装置の決定的違い
「旧観念無用」という認識が生み出す気付きの深さ
頭で理解しただけでは、新理論は使いこなせない
潜在思念発の大きな方向と大きな構成
外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく
必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく
新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?
新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する
大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく
大衆には、運動を立ち上げる余力が無い→余力を与えられた悪徳エリートが支配する社会
金貸し勢力の弱点と自滅の構造
金貸しと悪徳エリートに止めを刺すのは?

『るいネット』は、48年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp