実現論を塗り重ねてゆく
245648 イラン高原の歴史(1)〜エラム文明以前の歴史
 
田野健 HP ( 50 兵庫 設計業 ) 11/02/14 AM00 【印刷用へ
イラン高原はメソポタミアに隣接しており、アフリカ大陸からユーラシアに移動する際の玄関口に位置する。当然、新人の経路としては太く、数万年前の初期段階から集団が定着している立地にあったと思われる。
地理的にはザグロス山脈という厚い山脈でメソポタミアとは分断されているが、標高1000m前後の比較的緩やかな高原が広域に広がり、直ぐ北にはカスピ海や黒海をはさんだコーカサスが存在することで乾燥化も激しくなく、北緯35度を挟んで遊牧をするには非常に適した環境にあったと思われる。
しかし、イラン高原は大国ペルシャが登場するまではほとんど歴史らしい歴史を刻んでいない。エラムやメディアという古代国家はあったが、歴史的には突然大国が登場したという様相を示している。そのイラン高原の古代史はどうなっていたのか?ネットでの探索でわかっていることを投稿しておきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>イラン高原には極めて古い時代から人類の活動があったことがわかっている。考古学的には約10万年前の旧石器時代中期以降の遺跡が確認されている。

この地域における定住は約1万8千年前から約1万4千年前頃に始まったと考えられており、この時代の住人達は森林に覆われた山腹の洞窟などを主な住居とし、原始的な土器や剥片石器を用いていた。
イラン高原の気候の変化に伴って、こうした人々の居住地は移動し、やがて大規模な集落も形成されるようになった。この地域は麦を中心とした農耕が最も早く始まった地域の1つであるといわれており、紀元前6000年ころには、かなり高度な農耕社会を形成しており、都市の原型となる集住地も確認される。

ザーグロス山中で発掘された紀元前5000年頃のワインの瓶が知られている他、最も初期の集住地の痕跡としてスィヤールク遺跡が知られている。スィヤールク遺跡の最も初期の層から発見される住居の痕跡は、木の枝で作った粗末な小屋のようなものであったが、間もなく練土を用いた建物が建設されるようになった。製陶技術も発達し、彩文土器が用いられるようになった他、紡錘車も発見されており、イラン高原における目覚しい技術革新の後が見られる。

紀元前4千年紀には日干し煉瓦を用いた家が建設されるようになり、漆喰が塗られていたことがわかる。家の内部には赤い塗料などで装飾が施されていたこともわかっており、文様や動物の図柄を用いた質の良い彩文土器が見られるようになる。このことはイラン高原において文化的な断絶が長期間無かった事を示すと思われる。

しかし、彩文土器は技術的にはともかく、図案・造形的な面においては各地の遺跡で統一性が見られず、まとまった一つの政治世界としての姿はまだ曖昧であった。これらの特徴はイラン高原の中央部を中心とした地域においての話であり、スーサを中心としたであろう南西部では、紀元前3千年紀には中央部と異なり、近隣のメソポタミア文明の影響を強く受けた文化が生まれた。

参考:イランの歴史(Wapedia)リンク
Naima Travel リンク
 
  List
  この記事は 245345 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_245648
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
245650 イラン高原の歴史(2)〜エラム文明はどこから来たか? 田野健 11/02/14 AM01

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、48年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp