古代ギリシア社会は、各地の母神信仰や神話を取り込みながら、その植民地を拡大していった。
以下、「母権と父権の文化史/市川茂孝著(農文協)」より抜粋。
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ギリシア人の植民活動は東西の文化交流を促進し、その結果アナトリアやフェニキアから西アジアの母神信仰がギリシア本土に伝わった。これに刺激されて、それまで非アーリア系農耕民の中で逼塞していた古ヨーロッパの豊穣母神が続々と復活した。
紀元前8世紀から7世紀のころ、ロメーロス、ヘシオドスなどギリシアの詩人たちは、当時のギリシア人が信仰していた神々を体系化して叙事詩に謳いあげた。
彼らがつくった神々の系譜は、ゼウスを主神とする男性支配の神体系であったが、その中に西アジアや古ヨーロッパの母神を取り入れて、それぞれ男神に配した。例えば、ヘーラーはギリシア先住民の豊穣母神であったが、彼女を主神ゼウスの妻とすることによって非アーリア系先住民との融和を計った。
(中略)
神話や叙事詩が当時のギリシア社会を反映するものと考えると、叙事詩に非アーリア系の母神を全面的に取り入れたことは、この時代の非アーリア系先住民の勢力がアーリア人と競合できるほど大きくなっていたことを示唆する。
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「叙事詩に非アーリア系の母神を全面的に取り入れた」という事実は、「非アーリア系先住民の勢力がアーリア人と競合できるほど大きくなっていた」というより、支配形態がそれまでの武力中心から、武力+共認支配へと大きく転換していったことを意味しているのではないだろうか。
(∵共認支配の比重を大きくすることで、より広範かつ安定的な支配体制の構築が可能となる) |
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