実現論を塗り重ねてゆく
243460 徐福伝説について
 
井上宏 ( 40代 新潟 建築コンサル ) 11/01/05 AM03 【印刷用へ
日本に弥生時代をもたらしたのは、秦の始皇帝をだまして、東の海に出た徐福であるという説がある。これは、実際あった出来事なのだろうか?

太古の浪漫 リンク より
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★徐福は伝説か?
『史記』は司馬遷によって著された中国のもっとも古い歴史書で、信憑性が高く学術的権威をもつ大著である。記事や伝承の内容を、著者・司馬遷自身が現地を訪れ確認した上で収録している部分が非常に多く、そのため極めて真実性に富んだ史書とされている。

 徐福の話は、司馬遷が生まれるほんの数十年前のことであるが、司馬遷は甲骨文の発見などの考古学的証拠によって歴史的実在が確実とされている殷王朝(前一六〇〇〜前一〇二七年)の王統譜を正確に記述している。どうして生まれる千年も前の歴史が事実で、高々七十年前のことが「伝説」でなければならないのか。
(中略)
 一九八二年六月、中華人民共和国地名辞典の編纂作業を行っていた、徐州師範学院地理系教授の羅其湘氏は、江蘇省・かん楡県の地名の中に「徐阜村」という地名を発見した。今更、地名が発見されるところに中国らしさを感じるが、同氏は、この村が清朝乾隆帝以前には確かに徐福村と呼ばれ、徐福の伝承が残っている事をつきとめた。その後、プロジェクト・チームが現地に入り、村に残る「徐副廟」を調査した。そして古老の語る次の伝承を採録した。

「徐福は、まさに日本へ旅立とうとする時、親族を集めてこう言い聞かせた。『私は皇帝の命によって薬探しに旅立つが、もし成功しなければ秦は必ず報復するだろう。必ずや「徐」姓は断絶の憂き目にあうだろう。われわれが旅だった後には、もう「徐」姓は名乗ってはならない。』それ以来、徐姓を名乗る者は全く絶えた。」と。

 さらに、中国の研究者が膨大な家譜によって徐福の家系を究明した結果、徐福は三千年前に栄えた徐国の偃王から二十九代目の後嗣にあたる中国屈指の名門の出であった。「徐市」の名が記された家譜を持つ徐氏一門が、今日なお中国全土に健在である事も判明している。造船所の遺跡、山東省黄県には「登瀛門」という、徐福が三神山のひとつ瀛州へ向かった地点とされる遺跡なども見つかった。徐福が実在の人物であることを疑う者は今や皆無であろう。

(★では、本当に日本にたどり着いたのか?)
 徐福が日本にたどり着いたのであれば、中国の史書の中に、徐福日本渡来説が明記されててもよさそうであるが、そのような記述はない。『古事記』や『日本書紀』以下の六国史にも徐福の記述は全くない。
(中略)
東瀛の地に着いた徐福は、秦の表徴を捨て、秦の衣冠も捨てて地元に帰化したものと思うが、中国の史書からは、徐福が本当に蓬莱に着いたか、またその後の日本にどう影響したかは断定できません。
 ただ、日本各地にある伝承・遺跡・古文書の多さに驚いている。遺跡五六箇所、伝承のある地域三二箇所、古文書の記載は四六箇所にものぼることから、徐福はやはり確実に東渡し、神の州(山)に到着したと確信できる。
 遺跡や伝承の残る地域は、佐賀、福岡、鹿児島、宮崎、和歌山、名古屋などです。それらの場所には、徐福に関連した遺跡が発見され、什器や墓地が出土しているし、碑文が残され、神社や儀式が伝えられていることから、この数量は徐福が日本に渡ったことを考証するに十二分であるとみている。
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(引用以上)
これだけ伝承と物証(碑文や神社)があるということは、徐福あるいは徐福を名乗った一行が日本に現れたのは確かなのだろう。
徐福の子孫は、日本に様々な技術をもたらし、広く分布していた秦氏(秦又は波多、羽田を名乗る)である可能性もある。(参照 リンク
 
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271755 徐福伝説年表(中国、日本の史書から) 田野健 12/12/30 AM02
244018 本物の徐福が定住したのは出雲か? 小西良明 11/01/15 PM01

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