自我の強弱は共認充足度に規定され、共認非充足が強いと自我は強くなる。その構造から類推すると、白人の自我が強いのは、何らかの共認非充足状態の歴史があったからではないか?という仮説も考えられる。例えば、他部族から迫害を受けたり、縄張り闘争に敗れて惨めな思いをしたことがあったのではないだろうか?
そもそも、原白人が北方(ドイツ周辺)に棲みついた理由は何なのであろうか?普通に考えると、わざわざ好き好んで寒冷な北方に棲もうとは思わないだろう。人類の部族移動の歴史の中で、北方にルートをとらざるを得なかった何らかの理由がないと説明は難しい。
その後、原白人は南下し、その一派がギリシャの原住民を侵略して奴隷制の都市国家をつくったりしているが、人口の何倍もの奴隷を使うという精神性は普通では考えられない。奴隷を使った方が裕福な暮らしができるということもあるだろうが、奴隷を管理する労力を考えると費用対効果は疑問が残る。むしろ、奴隷を使うのは、実益よりも精神的な欲求を満たすという動機の方が強いのではないだろうか?
その精神的な欲求が、共認非充足(迫害、惨めさ)に対する自部族の優位性を誇示することなのではないか。教科書ではギリシャ哲学等がギリシャ文明の優れた特色であるというように教えられるが、実はギリシャ人がものすごく観念的なのは、自分達の優位性の根拠を固め、奴隷を使うことを正当化する必要があったからだと考えれば辻褄が合う。自我が強い人間ほど、観念を自己正当化のために使いたがるものだ。 |
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