観念機能の発達について、「同一統合」「差異化統合」など、おそらく“抽象化”に関わりの深い概念装置を使ったアプローチが吉国さんや土山さんによって試みられていますが、少し違うアプローチをしてみたいと思います。
抽象化に繋がる認識機能の原型は確かに多くの動物にも見られますが、観念機能の最大の特徴は、やはり「直接知覚できないものを措定する」という部分にあるように思うからです。
また、実現論による記述、「万物の背後に精霊を見る」ことを観念の起源とすると、この「精霊の措定」という認識自体は、差異化とも同一化ともあまり関係がないように私には思われます。
むしろ、私がここで関わりが深いと思うのは、「因果」や「手順」、「予測」といった認識様式です。ある知覚可能な現象(例えば木が揺れるとか、川が増水するとか)に対して、「これは○○だからだ」という“要因”を措定するのが因果律です。ここに、精霊を措定する状況が登場します。
しかし、この因果律はおそらく一般動物には存在しないと思われます。一般動物にあるのは、本能と記憶回路の発達の助けを借りた、「こうすれば、こうなる」という手順律、あるいは予測思考のようなものではないかと思います。このような手順律は、ある程度知能の発達した動物であれば、学習によって身につけることもできます。
ところで、因果律とはいわば、この手順律や予測思考を逆転させたものと考えられます。「こうなるということは、こうだからだ」というわけです。
とすると、始原人類が「精霊」を措定した瞬間、もしかしたら、極限的な不全状況に直面し、強力に探索を働かせた結果、手順律の「逆転」が起こったという可能性が考えられます。何の体験記憶も無い状況で目の前の現象を手順の「後」に起き、その「前」を探索するということが、「直接知覚できないもの」を認識するという特殊な思考を成立させたのではないでしょうか。 |
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