金田一京助という著名な言語学の方が日本語の起源について著書で言及している。それをまとめたブログがあったので、そちらを紹介して金田一氏の論点について考察してみたい。
「日本語の起源」あやたろうさん〜リンクより抜粋させていただきました。
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>金田一京助の日本語の起源に対する論拠は明快である。「日本語の起源は、原アルタイ語族ではないか」というものである。その根拠を説明する。
まず、日本語の典型的な文法は次のとおりである。
1.主語が先に来て、その後述語が続く。花咲く、鳥啼く、風吹く、などである。これは当たり前のようであるが、例えば中国語など場合により平気で主語が述語の後に来ることがある。
2.花見、月見、海行かば、のように、目的語、補語が先に来て、その後動詞が続く。英語を思い起こすと分かるように、他の言語でそうでないものはあまりに多い。
3.常世の長鳴鳥、のように修飾する語が、修飾される語の前に来る。casa blanca(白い家)、Khmer Rouge(赤いクメール)など、修飾する語が後に来る言語は少なくない。あ、流石に、クメール・ルージュは適切でなかったかも。
4.花が、花を、花に、花の、など助詞が体言の下にくっつき、二重にも三重にも延びていく構造をもつ。
これらは全て、紛うことなき、アルタイ語族の特徴である。アルタイ語族には、朝鮮語、モンゴル語、トルコ語などがある。
それでは日本語を、朝鮮語、モンゴル語、トルコ語の直系と位置づけたいところであるが、すると次のような困難に遭遇する。
1.先ず、日本語の母音調和が、原始的すぎるということがある。他のウラル・アルタイ語族では、ここまで素朴ではない。
2.また、基礎単語がほとんど一致していないということがある。例えば、朝鮮語の文章を日本語に翻訳すると、語順はそのままにして単語だけ置き換えれば、ほとんどの場合間に合う。しかし、狭い海峡を隔てて対峙している国同士なのに、基礎単語があまりにも違う。例えば、雨は、朝鮮語で、ピである。雪は、ヌンである。犬がケー。はっきり、似てない。一致する多くの単語は、ほとんどが日本語からの借用である。パンシンパンギ→半信半疑、など。網羅していないが、モンゴル語やトルコ語では、もっと違うだろう。
すると、文法の一致と、基礎単語の乖離から、日本語を、原アルタイ語からの継承と理解することが妥当となる。そうして文法の枠組みをみた上で、南方のポリネシア、インドネシア、インドのドラヴィダ語、あるいは、大野晋が主張したタミール語あたりが基礎単語に与えた影響を考えればいいのではないか。
尚、私の推測であるが、縄文人が話していた原日本語は、既に原アルタイ語を祖語とするものではなかったかと思われる。では、原アルタイ語系である原日本語は、この日本の地で生まれ育まれたのかと考えると、それは分からない。ひとつのヒントは、アイヌ語の存在がある。アイヌ語の権威でもある金田一京助氏によれぱ、アイヌ語は文法的にも日本語とは全く別系統だそうである。
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金田一氏の主張は文法がアルタイ語系でありながら隣接する現在のアルタイ諸語(朝鮮語、モンゴル語等)と異なるのは日本が原アルタイ語で隣接国がその後、変化したからであるとしている。
これは金田一氏が言語は文法が先天的で、語彙は後天的でかつ変化が容易であるという自説を論拠にしている。しかし果たしてそうであろうか?
むしろ、歴史的には支配者ー被支配者の関係の中で文法は変わるが言語は温存されるというのが通説でそのような言語変化をクレオール語と呼んで一般化されている。語彙(=単語)とは、ある対象物をどのように表現するかという事であり、長い年月を掛けてその地域の人々が培った共認そのものでもある。早くから植民地化されたインドでさえ、英語を話したのは支配されたからではなく、イギリス人と交易や交渉や仕事をする為であったという話を聞いた事もある。それは支配者が文法を変えることは容易だが、単語を全て変えることは不可能に近いからである。
さらに支配の手が及ばなかった北海道のアイヌ語が日本語と語彙は同じで文法が異なるという点からも文法が後天的に日本語に作用している事が伺える。言語学という学問がどちらを基層にしているかまでは調べていないが、私は語彙が基層で文法は塗り重ねだと思う。 |
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