実現論を塗り重ねてゆく
242547 中国における新石器文化概要4
 
彗星 ( 中年 ) 10/12/21 AM10 【印刷用へ
[風篁楼(リンク]のサイトより、『新石器文化(リンク』の記事より先史古代中国文化の一覧がありましたので転載します。(※中国漢字の表現のできない部分あり。本HP参照願います)
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★★★長江文明★★★
 20世紀後半から急速に研究が進展した長江中〜下流域の諸文化の総称として唱えられるようになったもので、殊に黄河流域の粟作農耕に先行する稲作農耕が確認されたことで水稲農耕の優位性が説かれ、稲作文化に立脚する日本でも注目されている。水稲農耕のほか黒陶・玉器・漆器・竹工芸・磁器・養蚕製絹・茶など、中国を代表する文化伝統の多くの源流が確認され、中国最古の都城跡も発見された。B4000年紀末に最温暖期が終息して冷涼期に転じると、稲作適地の拡大を一因として社会の再編と組織化が進み、各文化圏の拡大と地域間交流の活発化で屈家嶺文化・良渚文化などが出現し、長江文明は最盛期を迎えた。
 B3000年紀末頃から急速に衰亡し、石武器の増加や養豚の放棄、狩猟・漁労への移行など、以後の諸文化との断絶が認められるが、印文陶文化を共有の文化基盤としたことは後の楚の拡大の一助となった。楚文化は長江文明を継承して大型の青銅器や漆器の優品を多数生み出し、曾侯乙墓はその精華の一端を示している。未だに体系化された文字が発見されておらず、調査研究も不充分なために文明としては公認に至っていない。
 20世紀末には、湖南省道県の玉蟾岩遺跡や江西省万年県の仙人洞・吊桶環遺跡から、B14000年〜B12000年頃の、人工栽培を示す野生稲の稲籾が出土したことで、稲の起源が長江中流域に修正されるとともに、中国農耕の開始がオリエントに匹敵する独自のものであることが示唆された。
 江と河、没・莫と否・非、嘴と口、牙と歯、眼と目、首と頭など、中国で同意異音語が多いのは北方アルタイ語系の黄河文明と、南方語系の長江文明が混合した結果とする見解があり、象形文字から発展した“川”に対し、“河”はモンゴル語の川“rool”に、“江”はモン=クメール語の川“kroung”に起源するという。文語の混合や文字の本格的な形成はB2000年頃に比定され、良渚文化の崩壊と時期的に一致する点が注目されている。
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■河姆渡文化 B6000?〜B4500?
 長江下流域では最古の稲作文化。1973年に浙江省余姚市で発見された河姆渡遺跡を標式遺跡とする。住居は木造の高床式家屋で、多量の稲籾の堆積が出土したことで組織的な稲栽培が行なわれていたとされるが、野生・家畜動物の骨や木器・骨角器が多く出土していることから、半農半猟の生活をしていたとみられる。
■馬家浜文化 B5000?〜B3500?
 河姆渡文化の影響で太湖地区に成立した稲作文化。標式遺跡は1977年以降は浙江省嘉興県の馬家浜遺跡とされているが、1959年の発見当初は淮河河口部の青蓮岡文化の一部とされた。やや高温で焼成した紅陶の他に玉器が多く作られ、ブタの飼育も確認されている。B4000年頃の草鞋山遺跡では谷状の低地に細長く展開する粗放水田址が確認され、灌漑水田への移行期とされている。
■?沢文化 B3900?〜B3200?
 河姆渡文化や青蓮崗文化の影響で馬家浜文化が発展したもの。上海市青浦区の?澤遺跡を標式遺跡とし、1982年に命名された。紅陶の他に高温焼成の黒陶や灰陶、鼎などの調理器だけでなく、副葬品とされた玉器が多数出土し、刻画紋や刻画符号を刻した土器片も出土している。
■良渚文化 B3300?〜B2000?
 気候の冷涼乾燥化による太湖周辺の退水によって?沢文化が発展した新石器文化。1936年に浙江省余杭市で出土した良渚鎮遺跡を標式遺跡とする。良渚遺跡からは外周4.5km・基底幅50mの城壁や、670mX450mの宮殿基壇などが出土したが、囲壁集落は発見されていない。長江文明の極盛とされる高度な加工技術による玉器のほか、養蚕・絹織や麻織、竹編物、轆轤による黒陶・灰陶製造がおこなわれ、殊に鼎・壺・豆のセットを祭器として重視する伝統は、殷から漢代まで継承された。社会の分業・階層化も進み、殉死者を伴う族長墓は王の存在した可能性を示唆するなど、発達した地域統合社会は中原の初期王朝成立にも重大な影響を及ぼしたとされ、単体もしくは複数の記号を刻した土器・玉器も確認されている。発掘された墳墓群の状況などから、政治的な中心は前期は太湖南の反山地区に、後期は湖北の寺とん地区に存在したと考えられる。
 多くの良渚文化遺跡が洪水層の下から出土している事から、長江の大洪水によって衰亡したとされ、続く馬橋文化では農産力や社会規模・文化が大きく後退し、玉器文化も失われた。山東竜山文化の急衰との関連も指摘され、以後の黄河文明に良渚文化の伝統が遺されていることから、江南からの人口圧が山東を経て夏王朝を成立させたという見解もある。実際に夏王朝の創始者の禹の会盟地や埋葬地は会稽(紹興)と伝承され、埋葬には“帰葬”と表現されるなど長江流域との縁故が強く、また禹の大事業とされる治水についても、同時代の黄河流域遺跡からは大洪水の痕跡は検出されていない。尚、良渚文化の終末時期についてはB2000年頃の比定が主流となっているが、山東竜山文化に良渚文化の影響が看られない事から、B2500年頃とする意見も根強い。
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-----------------------------------------5に続く
 
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