実現論を塗り重ねてゆく
242546 中国における新石器文化概要3
 
彗星 ( 中年 ) 10/12/21 AM10 【印刷用へ
[風篁楼(リンク]のサイトより、『新石器文化(リンク』の記事より先史古代中国文化の一覧がありましたので転載します。(※中国漢字の表現のできない部分あり。本HP参照願います)
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■竜山文化 B2500?〜B1700?
 黄河文明の後期新石器文化で、仰韶期文化と殷周青銅器文化の中間に位置する集合文化。黄河の中〜下流域を中心に展開し、遼寧・江蘇・甘粛各省にも拡大した。轆轤製成と高温の還元炎による肉薄の黒陶・灰陶を特色とし、後期には銅器の鋳造も始まり、農耕経済の比重が高まってヤギ・ウシなどの飼育も確認されている。住居は円形の竪穴式が主流で、床面は白灰泥で舗装され、各種の磨製石器や骨角器を用い、貝製の鋸や握り鎌も出土している。殷文化に連なる三足器や壺などの各種の形状の土器が現れた点でも重視される。
 1928年から発掘が開始された山東省章丘市竜山鎮の城子崖遺跡が標式遺跡とされたが、竜山文化最大の特徴とされた卵殻黒陶が斉南の特徴と判明するなど、仰韶期文化と同様に各地の独自性が認められるようになってから山東竜山文化・中原竜山文化に大別されるようになった。
 中原竜山文化は仰韶後期以来の諸文化の発展により陝西類型(客省荘二期・陶寺)・晋南豫西類型(後岡二期)・河南類型(廟底溝二期〜王湾三期)に三分され、豫東廬西(河南・安徽省境北部一帯)の造律台類型を加える事もあるが、何れも縄紋灰陶を主流とし、卜骨の使用も確認されている。中原に囲壁集落が多く出現した時代でもあり、初期には一時的軍事施設として造営されたものが殆どで、一帯の中心集落としての機能は確認されず、大規模な城壁を有する山西南部の陶寺遺跡は稀有の例とされる。新石器時代の諸文化が断絶する中で河南類型は二里頭文化に発展し、以後の中原文化の重要な基盤となった。河南文化が継続した理由としては、長江文明に対して黄河文明の農耕規模が小さかったことや、雑穀と稲作の複合農耕が行われていた事により、気候や社会の大変動に対応できたためと考えられている。
▲ 陶寺遺跡
 山西省襄汾県で発見された、陝西竜山文化の東部を代表する遺跡。1500mX1800mの、華北の新石器時代最大規模の囲壁を有し、灰陶を主流とした土器のほか、玉器や銅器、中原最古級の蟠龍意匠などが出土した。
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■後李文化 B6800?〜B5500?
 斉魯地方に展開した、新石器時代初期の文化。紅褐陶を用い、家屋は方形の竪穴住居で、アワなどの雑穀の栽培や、イヌ・ブタの飼育が確認されている。又た、済南市長清区の帰徳鎮の月庄遺跡から出土した炭化したコメは、黄河流域最古の栽培稲とされる。標式遺跡は山東省臨淄県で1989年に発見された後李遺跡。
■北辛文化 B5800?〜B4100?
 後李文化が裴李崗文化・磁山文化の影響で発展したもので、黄褐陶を特色とし、紅陶の鼎や、より高温焼成した灰陶・黒陶も出土し、水牛の飼育や、紅鉢を死者の顔に被せるという特異な埋葬儀礼が確認されている。冀南の後岡文化・江北の青蓮崗文化の影響によってぶん口文化に発展した。標式遺跡は山東省滕州市の北辛遺跡。
■大ぶん口文化 B4300?〜B2600?
 仰韶文化期に斉魯地方に行なわれた黒陶文化。標式遺跡は山東省泰安県の大ぶん口遺跡。前期(B4300?〜B3500?)は紅陶が主流だったが、中期(B3500?〜B3000?)には黒陶・灰陶が主流となり、後期(B3000?〜B2600?)には卵殻黒陶の高柄杯なども出現した。頭骨の人工変形や抜歯の風習、三足器の出現や轆轤の使用、鳥をモチーフにした文様や象牙製品・玉製品など、南方文化の影響が強く顕れ、中期以降には父系氏族社会に移行すると共に囲壁集落も出現し、貧富の格差や集落間格差も明白となり、西隣の後岡文化でも殉死を伴う墓葬が出現した。
■山東竜山文化 B2600?〜B1800?
 大ぶん口文化が発展したもので、轆轤を用いた高度な製陶法は江浙文化の影響とされ、冀南の後岡文化とも密接に関係した。同文化最大の特徴ともされる卵殻黒陶は、東南沿岸部に展開した両城鎮類型の特色でもあり、中部山地以西の城子崖類型では灰陶が主流で、卵殻陶は少ない。竜山文化期初期には集落間の階層化と集落群の統合も行なわれていたらしく、城子崖遺跡を含む章丘遺跡群の他、東阿遺跡群・陽谷梁山遺跡群・両城鎮遺跡群などの中心集落の面積は20万uを超えている。山東竜山文化の断絶後に同地方に興った岳石文化では集落群が解消されて集落自体も縮小・減少し、轆轤による製陶技術も失われたが、殷王朝時代にも泰山以東で継続した。
-----------------------------------------4に続く
 
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8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
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