当時の気候変動により、人びとに何が起こったか?
(以下引用 『古代文明滅亡』よりリンク)
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・ヨーロッパ北部は寒冷化にともなって湿潤化し、恐らくは豪雨に見舞われ、飢饉が蔓延した。更にそんな中、エルベ川河口のバジレイア島が水面の底に沈んだのである。住処を逐われたバジレイア島の住民(後世でいう「海の民」)は、飢饉で荒廃したヨーロッパ北部の土地を見捨て、サイスの神官ソンキスの言うように、民を(ナイル川が)窮地から脱却させて救ってくれるというエジプトの地を目差し、南へと民族全員を連れて旅立った。
・バジレイア島の住民たちがその故郷を捨てた頃、東地中海の各地でも異変が起こっていた。エジプトは旱魃に見舞われ、他民族をして羨望の目を向けさせたナイル川の水位が徐々に減っていき、サハラ砂漠のテヘヌー(リビア人)の国は年中焼かれ、そこから最期の住民が追い出された。小アジアでもマネスの子アテュスが王の時にリュディア全土に激しい飢饉が起こったり、ヒッタイトで飢饉が起こり、エジプトやウガリトに穀物の輸出を求めたりし、旱魃の被害がまだそれほど出ていないエジプトの王はヒッタイトの国を存続させるために穀物を送らせたという。
・さて、「海の民」は行く先々で、飢饉のため祖国を見捨てた人々を糾合し、次第に巨大な軍勢にふくれあがっていった。彼等は当時ドナウ川流域に住んでいたイリュリア人やドーリア人を追い散らしたり、自軍に組み込んだりしてドナウ川を渡り、嵐のごとくミュケナイ文明の花咲くギリシアに迫った。
*********************************(引用終わり)
寒冷化にともなう民の移動によって、略奪行為が蔓延していったと考えられます。 |
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