もはや学校は終っている
241731 明治時代初期:なぜ、学校一揆や学校焼き討ちが起こったのか?
 
斎藤幸雄 HP ( 47 愛知 建築設計 ) 10/12/05 AM00 【印刷用へ
> 「小学校は初級にして人民一般必ず学ばずんあるべからず」庶民からすれば"ある日突然、強制教育としての義務教育"が導入されました。 新政府は官憲を動員してしばしば父母に子どもを小学校に通わせることを迫り、働き手としての子どもを学校に取られ生活を脅かされることに反発した親たちによる「学校一揆」も少なくありませんでした。
(『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2〜8.寺子屋の衰退過程とその要因』リンクより)

明治の初め、国家の教育制度に対して、「学校一揆」や「学校焼き討ち」が起こった。なぜ、庶民はここまでの強硬な行動に出たのだろうか?庶民にとって学校教育とはどんなものだったのだろうか?

1)学校教育は、村落共同体の農民自治に反するものだった
江戸時代の村落共同体は、農民自治が基本。教育も村ごとに主体的におこなっていた。子供たちは村の「子供組」「若者組」「娘組」などに所属し村の規範を学んだし、寺子屋の師匠も村が雇っていた。

参考
江戸時代の村落共同体のありよう(1)〜農民自治の広がり〜 (240154
江戸時代の村落共同体のありよう(2)〜村の多様な役割〜 (240155

それが、明治時代になって、村の事情にはお構いなく、国から学校教育を押し付けられた。

2)学校教育は実用にならなかった
「今は青年学校に男女とも入るが、特に教へる人がないから今の若者は草履も草鞋もつくれず、着物一枚ぬへないと言つてゐる。今の学校は実用にならぬ、理屈のみ教へるとは、現代教育に対する古老感である。」

これは、昭和・敗戦前後の民俗学者・山口彌一郎の言葉だが、この時代以上に、明治の始めころは、「学校の教育内容」と「村で必要とされたもの」が、かけ離れたものだったに違いない。

その「実用にならない学校」に無理やり通わされ、しかも、授業料までも徴収された。

3)学校教育は村落共同体を破壊しかねないものだった
明治生まれの民俗学者・柳田國男は、若者を教育する方法を「平凡教育」と「非凡教育」の二つに大別し、「平凡教育」の必要性を説いている。

「非凡教育」は書物を読むことを特色し、現実的には学校教育を指している。「非凡」であること、つまり他より優れていることを求める教育であるから周りの者はみな競争相手。西洋個人主義に基づく教育で、結果的に順位や序列を生む。

これに対して「平凡教育」とは、古くから日本の社会で綿々と引き継がれてきた教育法。周りの人々と同じように秩序を乱さず一人前に生活できる能力の養成を目指す。そこで一番嫌われるのは手前勝手、横着、自分さえよければいいという態度、人に迷惑を与えて顧みないという行為。年長者を見習い、土地の慣習、先例に従う日常の生活を通して行われる教育。

このように「非凡教育」(学校教育)は、伝統的な「平凡教育」とは相容れないものであり、共認原理で統合される村落共同体を破壊しかねないものだった。

◆以上のように、当時の庶民にとって学校教育は、現実の役に立たないどころか、村落共同体を破壊しかねないものだった。その学校教育を押し付ける国家に対する反発が、「学校一揆」や「学校焼き討ち」だったのではないだろうか。

しかし、次第に工業化・近代化、市場拡大や都市化が進み、また西洋近代思想が浸透していく中で、庶民にも「学校教育が役に立つ」ことが認識されはじめる。そして、これまでの「村落共同体の共認充足」と「私権拡大の可能性」が天秤にかけられ、ついに「私権拡大の可能性」⇒「学校教育の必要」へと意識は転換していくことになる。
 
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