人類の起源と人類の拡散
241479 11/28なんでや劇場(2) 白人の部族移動の歴史
 
冨田彰男 ( 47 兵庫 経営管理 ) 10/11/30 AM08 【印刷用へ
資料「部族移動の歴史」リンクでは、7万年前に原人や旧人が氷河期に適応できずに滅亡したとあるが、これは北方、とりわけヨーロッパの話であって、ジャワ原人は1.2万年前まで生き残っていた。それがインドネシアのフロレス原人。

●原白人の起源
この資料では、原白人が登場するのは8200年前である。ここで、西アジアの寒冷化・乾燥化に伴い、原白人が黒海沿岸に移住し、農耕を開始する。

原白人はその前には、どこにいたのか?

寒冷化によって南下したわけだからより北方にいたはずであり、おそらくはドイツ周辺と推定される。その前の1.3万〜1.16年前の短期寒冷期(ヤンガー・ドリアス期)は現在よりも気温は8℃低かった。これは1.5万年前までの最終氷期(現在より平均で4℃低い)よりもさらに寒冷。従って、極めて少数で住んでいたと考えられる。
(☆最終氷期のヨーロッパではアルタミラやラスコーなど洞窟遺跡があるが、1.3〜1.2万年前の洞窟遺跡はあるのか?)。

つまり、短期寒冷期のドイツ周辺には、15〜30人規模の単一集団が極少数しか居なかったはずだから、1.16万年以降の温暖化によってネズミ算式に増えてもせいぜい数万人の規模だろう。つまり、8200年前に黒海周辺に棲みついた原白人の数は数万人にすぎなかったと考えられる。

●白人の部族移動
1万年前 ドイツ周辺に原白人

8200年前 寒冷化・乾燥化によって南下し、原白人がコーカサスに移住

7600年前 温暖化によって海水面が上昇し、海水が流入した黒海が氾濫。
元々陸地であった黒海の東側が水没した。そこに住んでいた原白人が四散。コーカサス(黒海〜カスピ海周辺)周辺や西は小アジア、東はイラン高原など四方へ散っていったが、その中心は南のメソポタミア方面である。

7000年前 移動先のチグリス・ユーフラテス河口にいた原住民と混血してできたのがシュメール人。おそらく、この時メソポタミアにいた原住民は、アフリカから来た黒人であろう。実際、混血して以降のシュメール人は自分たちのことを「黒い頭」と呼んでいる。このようにシュメール人には原白人の血が混じっており、灌漑農耕なども原白人がもたらしたと考えられるが、血の濃さで言えば黒人の血の方が遥かに濃い。

5700年前 寒冷化・乾燥化に伴いコーカサス地方の原白人が第二次南下。このうち、小アジア・地中海東部・アラビア半島へ行った一派がセム族となり、エジプト・エチオピア方面へ南下した一派がハム族となった。

それに対して、寒冷化してもコーカサス周辺にとどまった一派が印欧語族。
印欧語が形成されたのは、5700年前セム族・ハム族が移動して以降、3800年前に温暖化に伴ってコーカサス地方の印欧語族が移動を始めるまでの2000年間のどこかである。おそらく、5500年前頃に形成されたものと考えられる。言い換えれば、印欧語は元々はコーカサスの極少数の部族だけが使っていた言語ということになる。

3800年前 寒冷化化に伴い、コーカサス地方の印欧語族が第一次移動を始める。北欧にはゲルマン人、西欧へケルト人、南欧にラテン人(イオニア人・アカイア人)、東欧にスラブ人が侵入。イラン高原北部のステップ地帯にイラン−インド人、小アジアではヒッタイト人が先住民と混血しヒッタイト王国を建国。

3500年前 寒冷化・乾燥化に伴い、印欧語族が第二次移動。イラン高原南西部にペルシア人が侵入。イラン人が南下。アーリア人がインド侵入。

●白人はいつ、何故肌が白くなったのか?
⇒太陽光線説、つまりヨーロッパは緯度が高く太陽光線が弱いため肌が白くなったという説が有力に考えられる。猿でもアフリカのチンパンジーは肌が黒いが、ニホンザルは肌が白い(だから顔が赤い)。ところが、太陽光線説だけでは、同じく高緯度に住むモンゴルやエスキモーはなぜ肌が白くないのかが説明できない。そこで、ヨーロッパは霧が多い地域なので太陽光線が届かないので、肌が白くなったと考えられる。つまり、北方にいけば必ず肌が白くなるわけではなく、霧が多い等の特殊な環境条件が付け加わって白人種が形成された考えるべきだろう(このような特殊な環境に置かれた地域は非常に限られていることに留意)。

霧の多い特殊環境で登場した原白人は最初、銀髪・灰色の目をしていたという。それが太陽光を浴びるようになって、金髪・青い目に変わった。但し、白人のうちラテン系(ギリシア・ローマ・フランス等)はセム族(黒人と原白人の混血)と混血している。

☆現在のアフリカ人は中心部は真っ黒の肌をしているが、同じ赤道直下でもモンゴロイドのニューギニアなどでは褐色である。この違いは何故か?
⇒アフリカは草原が多いので太陽光を浴びる時間が長いので黒くなり、東南アジアは森林が多いので太陽光を浴びる時間が短いので褐色にとどまるというのが、考えられる理由だが、これも継続課題。

⇒【追記】なんでや劇場後、参加者の一人から、次のような説が提起された。「違いは湿度。アジアは雲が多く、水蒸気が多い。この水蒸気が紫外線を吸収するので、アジアでは赤道直下でも真っ黒にはならない」という説だが、この説が正しいと考えられる。
 
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