実現論を塗り重ねてゆく
241438 チベット系遊牧部族 羌族について
 
新川啓一 ( 40代後半 神奈川 建築家 ) 10/11/29 PM04 【印刷用へ
古代中国において、モンゴル系遊牧部族による殷とチベット系遊牧部族である羌族は長く敵対しており、後に羌族は周と手を結び殷を滅ぼします。

羌族の歴史について記述した記事がありましたので紹介したいと思います。


日本天珠協会のブログ記事
「チベット高原の歴史」リンクからの引用です。

(以下引用)

チベット高原の歴史
天珠のルーツを調べる上で、チベットおよびチベットの周辺諸国の歴史背景を知ることはとても重要なことである。古代のチベット高原は大きく分けて東部と西部に分けられ、後に併合されていきます。

1.チベット高原東部

a.羌族(チャン)

 チベット高原東部の先住民と言われており、その祖先はシュメール人という説もある。古羌族は紀元前5000年から紀元前4000年以前から居たと言われています。古羌族の遺跡と思われるものは、チベット高原東部に見られるカロ遺跡と現在の青海省から甘粛省にかけての地域に見られる馬家窯文化の遺跡がある。羌族はチベット系民族で西アジアの遊牧民族であったと言われており、やがて、中国西部に勢力を伸ばし、後に漢民族として漢水の上流にいる羌族を「南羌族」、現在の青海省にいる羌族を「西羌族(胡人)」と呼ぶようになる。他にも羌族は「タンクート」、「蔵人」、「番子」と呼ばれる。羌族は現在の山西省、陝西省、甘粛省および青海省辺りに分布していたが、中国の殷の時代に山西省を放棄し西へと移住した(殷王朝は狩りと称して羌族を捕え、奴隷とし呪術の生贄にしていた)。紀元前1046年に中国の周と協力し、殷王朝を滅ぼし、紀元前770年から紀元前476年頃の中国春秋時代には「斉」を名乗る。紀元前220年頃の中国漢時代には「西羌」と呼ばれ、中国魏晋南北朝時代に陝西省に入り自ら国を建てた(斉万年の軍)。紀元前206年頃からは前漢に吸収され、紀元後291年から紀元後306年にかけての晋の内乱(八王の乱)時には傭兵として雇われ中国に移住し、羌(後の後秦)、氐(テイ、後の前秦)、匈奴(キョウド、後の前趙、夏国)、鮮卑(センピ)、羯(ケツ、後の後趙)の五民族が参戦しこれらは五胡と呼ばれる(五胡十六国時代)。その中で羌族と氐族がチベット系遊牧民族だった。羌族は「後漢」を名乗るも、紀元後417年に東晋に滅ぼされ、中国の唐代、北宋代にはタングートが強勢になり「タングート王国(党項王国)」を建てるが吐蕃王国に圧迫される。紀元後1038年には現在の甘粛省で「西夏」を建て、その後、金に服属するが、紀元後1227年に元のチンギス・ハンに滅ぼされる。現在では、少数だが四川省に集落が見られる。宗教は多神教で複雑であり、古代ボン教にみられるアニミズムである。ただし北部の羌族では、チベット仏教の影響でラマ教を信仰している。

b.氐族(テイ)

紀元前2世紀頃から現在の青海省周辺で遊牧生活をしており、紀元後4世紀から紀元後5世紀頃には成漢、前秦、後涼などの国を建てた。一部の氐族は現在のミャンマーに南下し、パガン王朝を建国したと言われている。

c.吐谷渾(トヨクコン)

 紀元後4世紀頃に青海省一帯を支配していたが、紀元後663年に吐蕃王国の攻撃を受け、紀元後8世紀頃には滅亡してしまった。

2.チベット高原西部

シャンシュン王国(象雄王国)

 紀元前1000年頃にカイラス山麗一帯に栄えた女王国で、キュンルン・ングルカル(ガルーダ谷の銀城)を首都とし、シャンシュン語を使用していた。シャンシュン語については未だ不明な部分が多く、現在研究がされているようである。東はナムツォ(ラサの北部)、西はプルシャ(現在のギルギット)、南はムスタン(現在のネパールとの国境、ダウラギリ県ムスタン郡ガンダキ川上流付近)、北はリユル(現在のホータン)を統治していた(アフガニスタン東部のバダクシャン、ウズペキスタンのポハラも含むという説もある)。宗教はボン教を崇拝し、当時のマントラや経典はシャンシュン語で書かれている。紀元後643年に吐蕃王国によって滅ぼされる。

3.チベット高原全体

 チベット高原には、おおよそ30000年から21000年前頃には人類が定住していたと言われており、中国側の主張では中国方面から移住してきたと言われています。ラサ周辺にておおよそ26000年から21700年前と推測される遺跡が見つかっています。国が形成されるまではいくつかの集落が点在し、古代ボン教を信仰していたと言われています。

a.吐蕃王国

 紀元後620年頃にソンツェン・ガンポ王により建国され、紀元後643年にシャンシュン王国を滅ぼしチベト高原全土を統一した。首都をラサとし、紀元後8世紀頃にティソン・デツェン王により仏教(インド仏教、古密教)の国教化がはじまったが、紀元後838年にラン・ダルマ王により廃仏政策がはじまる。紀元後841年にラン・ダルマ王が暗殺され、翌年の紀元後842年に吐蕃王国が南北に分裂(グゲ王国、青唐王国)し、徐々に衰退して滅亡する。

(中略)

(以上引用終わり)
 
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