日本人と縄文体質
240273 和歌に見る日本人の可能性
 
阿部佳容子 ( 48 大阪 営業 ) 10/11/03 PM06 【印刷用へ
本来、観念力貧困であると考えられる日本に、和歌(やまとうた)はなぜ生まれてきたのか?

今でも中国南部や東南アジアで残っている「歌垣」と呼ばれる習俗は、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗である。古代日本においてもこの風習は見ることができ、万葉集に多く集録されている「相聞歌(男女の恋愛問答歌)」は、この「歌垣」から来ているのではないかと考えられる。

また、初期万葉歌の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融合的な関係にあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えられていたのである。自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」こと。それは、万葉集中50例を超える「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められている。

このように、和歌はもともと庶民(の感覚≒潜在思念)発、それも誰かひとりのひとが作ったのではない、言い伝えの「伝承歌」のようなものだったのではないかと考えられる。そこに通底するのは、自然への畏敬→祈り→肯定視と、ひとに対する親愛の情感。個性に乏しく「同じような歌が多い」のも、みんな発の共感であれば説明がつく。

さらに人々の気持ちを後押ししたのは、共同体社会から統一国家という時代の転換に対する期待とおそれであったと思われる。

>古代的な共同体のあり方が、豪族勢力の伸張や地域的政権の成立、そしてついには王朝的統一政権が樹立されるに及んで、社会全体に構造的な変化が生まれ、古代的共同体は変質し、その固有の秩序は失われる。人びとは古い全体社会から解放されるが、同時に共同体的紐帯を失った人びとは、また新しい権力関係のなかに包摂されて、以前よりも強大な力による従属関係のもとに組織される。解放は同時に新しい隷属を生むのである。その喜びとおそれとが、新しい詩歌の時代を招く原動力であった(白川静「初期万葉論」)。

その後、公的に採録され、中身が洗練・様式化されていった過程においては、庶民の力を借りて国家統一を権威づけ、律令国家の完成を目指した天武・持統、そして影の立役者である藤原不ニ等の政治力が大きく寄与した。

万葉集における最古の作者は、5世紀初めの仁徳天皇の皇后、大豪族葛城襲津彦の娘でもある「磐之媛皇后」とされている。国家統一以前、共同体社会の時代に、土地の集団に言い伝えられた歌垣が、大和政権誕生後に、天皇や皇后の歌として置き換えられのは、あるかなきか定まらない彼らの存在そのものを、身近な実体あるものとして表出するためだと考えられる。

下って、天智・天武・持統と同時代人である額田王は歌人というより巫女として歌を献上し、白村江の戦い前夜のひとびとを鼓舞したり、柿本人麻呂は宮廷歌人として天皇や皇子の正統性を長歌に託して公の場で発信したりした。彼らは、明らかに時の権力者の意向を受けたと考えられる。

しかし、にもかかわらず、和歌には政治や社会のことを歌ったものがほとんど残っておらず、わずかに人麻呂と山上憶良の数首に見られる程度、杜甫や李白に代表される中国の漢詩とは対極にある。これは、日本人が社会統合よりも、身近な生活に密着した感情≒潜在思念に基盤を置いており、和歌はその発露としてしか定着しなかった、ということを意味している。

「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」。(紀貫之 「古今和歌集〜仮名序」)

日本では古くから、言葉にも霊が宿ると信じられていた。声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられていたのである=言霊(ことだま)信仰。そして、漢字が入ってきてからもながらく、「言」と「事」は区別されていなかった。

日本語独特の言い回しである「モノを考える」とは、もともとは「事=言を考える」ではなかったか。日本人は、潜在思念発の言葉(≒観念)をとても大切にする民族なのではないだろうか。対象や周り、状況をよく見て=同化して、無意識に「言葉を選ぶ」。不用意な発言をしたりしないのだ。そう考えれば、国際社会で「寡黙」とか「話し下手」と言われているのも理解できる。

かくして、日本人は、こころ(内部)と事(外部)を言葉(観念)で端的に表現でき、であるがゆえに、難しい言葉を使うことなく誰にでも伝わり、誰もが親しむことのできる世界でもマレな文学様式=和歌を確立した。
 
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