学者とマスコミはグルで頭脳支配
239897 大学(人文系)の教授はどんなことを考えているのか?〜対談より〜
 
孫市 ( 34 宮城 会社員 ) 10/10/25 PM11 【印刷用へ
>ところが、大学(人文系)やマスコミは、既に生命力を失い、形骸化したそれらの観念に未だにしがみついています。実際、彼らは百年も前から同じ言葉を繰り返しているだけで、本質的には何の進歩もみられません。これでは、当面する社会の閉塞や危機に対応できる訳がありません。今や多くの人々が、学者(人文系)やマスコミの論調にはウンザリしているのも、当然のことでしょう。 (968)

大学の人文系の教授とは、一体どんな考え方をしているのか分からなかった。ニーチェやらカントやら、聞いたことがあるがこれまで話題になったこともない。

ネットで人文系の教授の対談がありました。

「こんなことしてても意味ないじゃん」というのが感想です。そして、新しい認識が決してでてこない(そもそも先人の哲学者の思考を追体験することが学問になっている)ことがよく分かりました。

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熊野 私が大学に入学したのは1977年です。70年前後の紛争が73年には終息して、大学が解体もせず、改革もされず、しかしある種の権威だけは失った。そういう時でした。そういったなかで、私は大学に残ることにした。というのは私は大学という場所そのものは嫌いじゃなかったんですね。

私は駒場で2年、その後本郷で7年過ごしました。本郷というのは江戸時代はどいなかですが、今は都心のどまんなかです。そんな場所に広大な森があるという物理的な意味で、ただそれだけでも大学の存在理由はあると思います。私が最初に勤めた北海道大学は、もっとすごくてキャンパス内に原生林があります(笑)。

それで2000年に東大に戻ってきたらキャンパスの雰囲気ががらっと変わっていたので驚きました。古きよき大学の空気が失われていた。これは、誤解を恐れずに言えば、工学部が悪いのです。工学部的な理念が一元的に大学を制覇しようとしている。現実(工学部的な理念による大学)と理念(近代ドイツ的な大学)との隔たりを感じます。

そうはいっても、文学部にいる我々も「役立ちますよ」と公言する時もあります。私のやっている「死生学」というのも、なんだかすごいネーミングですが、そういった意図があります。人文学のプレゼンスを表明すること。これは後退戦ですがやらざるを得ない。そうでないと若い世代の「哲学的思考」に関わろうとしている人たちが根こそぎやられてしまう。

ある種の「哲学的思考」とは、有用かどうかではかる基準ではなく、有用性そのもの、役に立つとはどういうことかを不断に問い直すことです。もちろん有用性をバカにはしていません。けれども、何かに役立つという有用性、これに乗っかかり過ぎるとおそらく哲学は消えてしまう。有用性とは何のためにあるのか。これ自体を問い直すことは譲れない。切り捨てられない。これがなくなれば、「哲学的思考」は中期的になくなってしまう。(※1)

西山 人文学は役に立つのか立たないのか? そうではなく、無用と有用との循環をみるべきです。大学においても基礎/応用、教養/専門とあるように無用/有用の循環があります。ヘーゲルは、哲学は人生の日曜日(レジャー)だと言っています。何もしないことでウィークデーの全てを思いだす(※2 『哲学と大学』に所収されている大河内泰樹論文を参照のこと)。大学とはこの両者をつなぎ留める場所なのです。

人文学は独特の速度を持っています。我々は何をしているかと言えば日々文献を読んでいるのです。自然科学なら自然に問いかけるでしょう。社会科学ならば人間の構築物に問いかけるでしょう。そんななか、人文学はテクストを読み、考えることを繰り返しています。様々な他者の言語を読み/考える。ひたすら読み/考える。このような人文学の独特な速度によって、倫理的なエクササイズ(他者を敬うこと)が初めて可能になるのです。これは熊野先生の著作にもちゃんと書かれています。

大切なのは、1.追体験すること(読むこと)。2.思考のすじみち(理解すること・考えること)。3.テクスト(他者の言葉)です。つまり人文学とは、この3つを巡りながら静かなエネルギーを発現させることなのです。

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8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
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