市場は環境を守れない、社会を統合できない
239851 「消費者的ふるまい」が国を滅ぼす。
 
阿部佳容子 ( 48 大阪 営業 ) 10/10/24 PM10 【印刷用へ
>市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。(31251)

本来、モチに生えたカビに過ぎない市場が、いつのまにかイデオロギーに化けて、人々を洗脳し、社会システムの根幹である医療や教育を破壊しようとしている。現代日本の最先端=現場で進行する惨状を紹介します。

--------------------------
少し前に、ある国立大学の看護学部に講演で招かれたことがありました。講演の前に、ナースの方たちと少しおしゃべりをしました。そのときに、ナースステーションに貼ってあった「『患者さま』と呼びましょう」というポスターに気づきました。「これ、なんですか?」と訊いたら、看護学部長が苦笑して、そういうお達しが厚労省のほうからあったのだと教えてくれました。

僕はそれを聞いて、これはまずいだろうと思いました。これは医療の根幹部分を損なう措置なんじゃないかと思って率直にそう言いました。その場にいたおふたりとも頷いて、興味深い話をしてくれました。

「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと(飲酒喫煙とか無断外出とか)、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が「患者さま」導入の「成果」ですと、笑っていました。

当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものだからです。医療を商取引モデルでとらえれば、「患者さま」は「お客さま」です。病院は医療サービスを売る「お店」です。そうなると、「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務づけられる。

「消費者的にふるまう」というのは、ひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。医療現場では、それは「患者としての義務を最低限にまで切り下げ、医療サービスを最大限まで要求する」ふるまいというかたちをとります。看護学部長が数え上げた三つの変化はまさにこの図式を裏書きしています。

厚労省がこんな奇妙な指示を発令したのは、彼らが社会関係はすべからく商取引モデルに基づいて構想されるべきだという信憑の虜囚になっているからだと僕は思います。

小泉内閣のときににぎやかに導入された「構造改革・規制緩和」政策とは、要するに「市場に委ねれば、すべてうまくいく」という信憑に基づいたものでした。「市場原理主義」と呼んでもいいし、「グローバリズム」と呼んでもいい。行政改革にも、医療にも、教育にも、さまざまな分野にこの信憑がゆきわたりました。

すべては「買い手」と「売り手」の間の商品の売り買いの比喩によって考想されねばならない。消費者は自己利益を最大化すべくひたすらエゴイスティックにふるまい、売り手もまた利益を最大化するようにエゴイスティックにふるまう、その結果、両者の利益が均衡するポイントで需給関係は安定する。市場にすべてを委ねれば、「もっとも安価で、もっともクオリティの高いものだけが商品として流通する」理想的な市場が現出する。市場は決して選択を誤らない、というのが「市場原理主議」という考え方でした。

そのモデルを行政もメディアも、医療にも適用しようとしました。その結果が「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たちの組織的な出現です。

(中略)

この「患者さま」たちはたぶん主観的には「日本の医療を改善する」ことに貢献しているつもりでいるのです(完全には信じていないにしても、半信半疑程度には)。そしてその確信を支えているのはメディアが「消費者モデル」の有効性を声高に賛美しているからです。万人が消費者として容赦なくふるまうとき、市場は最高の状態に向ってまっしぐらに進化してゆく。このイデオロギーはもともと行政が主導したものですけれど、メディアはこのイデオロギーの普及に積極的に加担してきました。僕が知る限り、医療機関に対して仮借ない批判を向けることいよってのみ医療の質は改善され医療技術の水準は向上するという信憑をメディアは一度も手放したことがありません。

さすがに医療崩壊がここまで進行すると、あまり「仮借ない」のもどうかな・・・というくらいの自制心は出てきたかもしれませんが、それでも自分たちが展開してきた医療批判が医療崩壊という現実を生み出した一因だということをメディアは認めない。


内田樹「街場のメディア論」

--------------------------

いつでもどこでも「消費者的ふるまい」が当たり前になるとき、人間社会で長らく培われた規範は吹き飛び、国は滅ぶ。マスコミの洗脳には、決して乗ってはいけない。
 
  List
  この記事は 31251 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_239851
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
シリーズ口蹄疫問題の本質に迫る! 第3回 畜産の現状 「新しい「農」のかたち」 10/11/09 PM06
充足の場としての「農」の可能性 「新しい「農」のかたち」 10/10/27 AM08

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp