近代市場の拡大
239615 10/17なんでや劇場(5) 市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
 
冨田彰男 ( 47 兵庫 経営管理 ) 10/10/19 PM08 【印刷用へ
歴史的に、共認非充足はどのように処理されていたのか?

原始時代は自我私権は封鎖されていた。
部族連合時代になると自我私権が登場し、それだけで共認非充足が発生する。
武力支配時代になると、集団統合への参加資格も剥奪され、身分支配によって抑圧されるので、共認非充足は増大する。
市場時代になると、村落共同体もなくなって、共認充足できる場がなくなってゆく。

このように時代を追うごとに共認非充足は増大してきたが、各時代において、共認非充足はどのように処理されていたのか?

そもそも共認非充足とは一体、何なのか?

原始時代においても仲間が死ぬこと、これが最大の共認不全であっただろう。∵最大の充足源=共認対象がいなくなるわけだから。死の問題は原始時代は精霊信仰に、部族連合の時代は守護神信仰に収束することによって解消されてきた。死の問題は超越的なものに収束するしかない(現在の葬式に見られるように、それは現在も変わっていない)。

近代市場社会では、それまでの時代よりも共認非充足が甚だしい。ところが、宗教は衰弱しているし、近代思想は現実には存在しない架空観念なので、共認非充足は解消できない。

そこで増大する一方の共認非充足を解消したのが、歌・演劇・映画etcの芸能である。近代思想に収束したのは知識階級だけだが、芸能は万人が解脱収束する。つまり近代は共認非充足の解消先が宗教から芸能に移行した時代であるとも言える。もちろんそれは、共認非充足を芸能の観客(傍観者)として代償充足させているにすぎず、本物の共認充足ではない。

ルネサンスが宗教(観念)収束→芸術・芸能収束への転換期である。以降、宗教収束力が衰弱するに従って芸術収束〜芸能収束が強まってゆく。

近代思想と芸能の関係をよく表す言葉を'70年安保の時の首相が残している。「今騒いでいるのは一部の人間にすぎない。大衆はプロ野球を観て楽しんでいるではないか」という発言だが、客観的に見てこれは事実と言わざるを得ない。政治闘争は近代思想抜きには成立しないが、近代思想に収束していたのは知識人や学生だけにすぎなかった。それに対して、娯楽には万人が収束していたのである。


近代になって、宗教への収束力が衰弱した「神が死んだ」のは何故か?(その後、'70年になると、近代思想も生命力を失って死ぬ)

@最も決定的な要因は、自然圧力の低下である。
原始時代の精霊信仰以来、観念は自然圧力に対応するために作られてきた。→自然圧力を克服するにつれて観念(宗教)への収束力が低下したのである。

A古代・中世ヨーロッパの救い欠乏を強く孕んだ大衆が、宗教(キリスト教)に強く収束したのは、そこにしか可能性がなかったからであるが、逆に市場の拡大によって、現実に私権拡大の実現可能性が開かれると、宗教への収束力は衰弱した。

B共認非充足は宗教or芸能によって解消するしかないが、非現実の架空観念である宗教よりも、刺激の強い芸能の方が収束力が強いため。

改めて、近代市場社会を振り返ると、次のような構造になる。

武力支配時代の3重の圧力(自然圧力×同類闘争圧力×支配圧力)からの脱出口としての市場拡大=豊かさ期待に突き動かされてきたのが近代である。そのために自我私権拡大を原動力とした結果、共認非充足は甚だしくなった。その代償充足手段としての芸能に万人が収束していった。豊かさ期待と解脱埋没、これが近代市場社会における社会共認の中身である。
 
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