日本を守るのに、右も左もない
239398 キリシタン宣教師の野望(3)
 
佐藤祥司 ( 壮年 設計 ) 10/10/15 PM03 【印刷用へ
つづきです。以下引用
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■7.秀吉のキリシタンとの対決■
 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、スペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。

 そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しかし、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。

 文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指下にある」と脅している。

 慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざわざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手段をとった。丁々発止の外交戦である。

■8.天草をスペイン艦隊の基地に■

 全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キリシタン勢力の中では、布教を成功させるためには軍事力に頼るべきだという意見が強く訴えられるようになった。1590年から1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クルスは、1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会総会長に出している。要点のみを記すと、

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 日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでもしも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてその内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)又は四国を包囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろう。・・・

 このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と 協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るようにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適している。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好な位置にある。・・・

(日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設することの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・多くの日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイン人の間で育てることになるだろう。・・・

 スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべきシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日本から調達することが出来る。
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 キリシタン勢力が武力をもって、アジアの港を手に入れ、そこを拠点にして、通商と布教、そしてさらなる征服を進める、というのは、すでにポルトガルがゴア、マラッカ、マカオで進めてきた常套手段であった。

 また大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス会に寄進しており、ここにスペインの艦隊が入るだけでクルスの計画は実現する。秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシタンとの戦いは、徳川家康に引き継がれた。

■9.国家の独立を守る戦い■

 家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリシタンびいきで、大阪城にこもって、スペインの支援を受けて徳川と戦うという事態であった。当時の大阪城内には、宣教師までいた。大阪攻めに先立って、家康はキリシタン禁令を出し、キリシタン大名の中心人物の高山右近をフィリピンに追放している。

 1624年には江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じ、さらに1637〜38年のキリシタン勢力による島原の乱をようやく平定した翌39年に、ポルトガル人の渡航を禁じた。これは鎖国と言うより、朝鮮やオランダとの通商はその後も続けられたので、正確にはキリシタン勢力との絶縁と言うべきである。

 キリシタン宣教師達にとっては、学校や病院、孤児院を立てることと、日本やシナを軍事征服し、神社仏閣を破壊して唯一絶対のキリスト教を広めることは、ともに「人類の救済者」としての疑いのない「善行」であった。その独善性を見破った秀吉や家康の反キリシタン政策は、国家の独立を守る戦いだった。これが成功したからこそ、我が国はメキシコやフィリピンのように、スペインの植民地とならずに済んだのである。
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引用終り。
 
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