日本人と縄文体質
238176 「漢字・ひらがな・カタカナ」メモ 6 元々文字を使う必然のなかった日本人にとっての文学 
 
阿部佳容子 ( 48 大阪 営業 ) 10/09/20 PM00 【印刷用へ
日本には文字がなく、中国の文字=漢字の伝来を待たなければなりませんでした。それは恥ずべきことでしょうか?

--------------------------------

白川:日本に文字ができなかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれてこない。

梅原:私もそう思います。それは大事なことです。しかも私の仮説だけど、その神聖王朝というのは異民族を含まないと出来ないような気がしますね。異民族を支配するには、絶対、文字が要る。

私は、長江文明をずっとやっているんですけど、長江流域に高い文化があったのは間違いないんですが、ところがそこには文字がないんですよ。それは、やっぱり異民族を含まなかったからではないかという気がするんですね。異民族を含んで、巨大な国家が出来ないと、文字は出来ない。

白川:神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。

これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との交通の手段としてある。甲骨文字の場合、それは神に対して、「この問題についてどうか」という風に聞きますが、神は本当に返事をする訳じゃありませんから、自分が期待できる答が出るまでやって、「神も承諾した」ということにして、やる訳です。

梅原:あらかじめ答を用意している訳ですか。

白川:そうです。これは一つの手続きです。神と交通し、神に承諾せしめた、というね。

-------------------------

漢字は紀元後すぐくらいに鏡等に刻まれる形で渡来したと言われていますが、実際に文字を(伝達の)手段として使われるようになったのは、聖徳太子の頃、17条憲法あたりからと言われています。

半島や大陸からの渡来人は断続的に渡来していました、それら異民族を支配するという観念のなかった日本人には、長く文字を使う必要がなかったということでしょう。むしろ、文字を文字として使い始めたのは渡来人の方だと思われます。

また、「文学」という側面で捉えたときに、政治や社会、思想を表現するという壮大な高み(≒観念論)には行き着かず、身近な関係世界や身の回りのできごと、実感に即したことの表現にとどまっていることが特徴です。それは、「『おしゃべり』を取り込んで自分たちの文章を作ってきた」(237416)日本人であれば、当然のことかもしれません。

-------------------------

白川:そもそも「万葉集」自体が社会生活の中で広く伝承されるようなものでなく、殊に最終の4巻は大伴家持の日記みたいなもので、大伴家に残されておって、大伴家が何か疑獄事件で被疑者になって、家宅捜索された時に見つかった。もしそれがなかったね、「万葉集」は伝わらなかったかも知れない。そういう私的な性格のものであった。

中国の「詩経」はね、貴族社会の中で、宴会ごとに一定の詩を演奏し、また希望する詩篇を楽師に演奏させて、そしてその思想を確かめながら伝承していった。だから中国における思想の形成は、僕は「詩」の世界から出てきていると思う。

梅原:そこがね、日本の「万葉集」と違う点ですね。政治詩・社会詩の欠如、これは日本文学の大きな問題です。
日本と中国は一衣帯水(いちいたいすい)というけれど、非常に文化が違うんです。「万葉集」には自然の呪力を歌ったものはある、それから恋愛の歌もある。しかし政治詩・社会詩が殆どない。政治詩は長歌でないと出来ない。長歌は人麻呂と憶良ぐらいで終わりです。憶良的な長歌でも君主や国家に対する批判ではない。家持は藤原権力に対する批判を持ったひとだけれど、結局最後は挫折して自然の世界に慰めを求めた歌人で、四季の歌をたくさんつくっている。

「古今集」を編集した紀氏というのは藤原氏に滅ぼされた氏族なんですけど、「古今集」の時代には完全に力を失っていて、政治は藤原氏に任せて、自分たちは文学に生きようとする。「古今集」は初めの6巻は春夏秋冬の自然詩。自然を歌っているようで実は恋を詠んでるんですがね。それから純粋な恋の詩が11巻から15巻。

「古今集」には政治的色彩が殆どなく、それと同時に長歌も殆どなくなって、あっても駄作です。私はそこに非常に大きな日本文学と中国文学の違いを感じるんです。これはずーっと今の文学の情況にまで引き継がれていると思うんですよ。現代日本文学にもやはり社会的な文学、政治的な文学というのは殆どない。

やはり私小説。恋愛とかばかりで、それが純文学と言われている。こういう情況がずっと続いている。これはいいことか悪いことか解りませんけどね。それほど日本は平和なんですね。


白川静+梅原猛 対談「呪の思想〜神と人との間」

--------------------------------
 
  List
  この記事は 237416 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_238176
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
238178 「漢字・ひらがな・カタカナ」メモ 7 実体に根ざした観念力 阿部佳容子 10/09/20 PM00

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp