国家と市場の構造について議論を重ねていた所に、ふと題名の疑問が提示された。
確かに、現在の日本は決してスッキリと統合された状態とは言い難いものではある。
それは、政治の混乱ぶりに限らず、混迷する市場、暴走する特権階級等、あらゆる場面において。
しかし一方で、社会の安定秩序は維持され続けており、かつこの状態が数年の間に突然崩壊するような状況までは予感されない。
いつの時代でも、社会は人々の共認によって統合されている。
とすると、実は今の日本は、ズレを抱えた二重の共認統合によって保たれていると考える事は出来ないだろうか?
つまり、一部の支配階級及び特権階級と、その他大勢(一般庶民)とで作られた共認域が、全く別の共認内容によって統合されているという仮設が成立するのではないかという事。
国家は未だ私権序列体制という旧体制・旧制度に依拠し、市場拡大を無理矢理にでも推進する事によって、自らの既得権益=私権を維持せんとしがみついたままであるが、果たしてそのような意識や仕組みが、私達の日常に影響を与える程の強制圧力として降りかかっているとは到底感じられない。
むしろ、私権等という厄介なものから開放され、周りの人々との共認充足を得る事に収束しているが故に、日々の充足や安定を維持せんと、この社会の秩序を保つ事で自立的に統合していると見ることも出来る。
これらを2重の構造として整理してみるととても面白い事に気付く。
生物を構成する細胞は、日々生まれ変わっている。古くなった細胞を廃棄すると同時に、内側から新たな細胞を次々と生産し、塗り替えている。この構造を上記の旧体制の統合階級と、新しい共認統合をし始めた一般庶民とに当て嵌めてみるとどうか。
つまり、この国家を取り巻く外側で、あたかも国家を支配した気になっている統合階級は、既に皮膚の垢となり、今にも朽ち果てようとしている段階であり、その内側から既に新たな仕組み=共認原理によって統合された新たな社会が生まれようとしている。
結論。
現在の社会は、新たな仕組みによって統合される直前の状態である。 |
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