20、21世紀のアメリカ合衆国と13、14世紀のモンゴル帝国の盛衰を対比させれば、類似点が多いことに気づく。
象徴的なのが、「ペーパーマネー」つまり不換紙幣の元祖が、モンゴル帝国の紙幣「交鈔」であることです。
堺屋太一「歴史の使い方」文庫版への序文より引用
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本書では「二十一世紀のアメリカは知価時代のモンゴルか」と論じた。どちらも多様な人種を取り込んで発展、世界を支配する覇権国家となった。しかも租税負担は低く、軍事的には大量報復戦略に、経済的にはペーパーマネーの垂れ流しで繁栄する「貢がせる経済」であると。
十三世紀のモンゴル帝国が発明した「ペーパーマネーを国際基軸通貨とする体制」は、通貨を物財との交換手段ではなく、利潤を生む資本と考えることから出発した。モンゴル帝国の財務官マフムード・ヤラワチ(1175〜1256?)は、「通貨(オカネ)は金や銀への交換を保障されているから価値があるのではなく、それを有利子で借りるものがある限り価値を保つ」と主張した。
このため、財政と国際収支の「双子の赤字」を補うためにペーパーマネーを増発する一方、借り手作りに励んだ。「オルトク(トルコ語の「仲間」の意味)」つまり投資ファンドを造り、最初は交易商人の運転資金に貸した。それで借り手が足りなくなると、鉱物や陶器製造の設備資金に貸した。最後には王侯貴族や軍閥、つまり消費者にも貸した。いわばどんどん危険な相手に貸さざるを得なかったのだ。
二十一世紀のアメリカも同じである。国際収支と財政の「双子の赤字」を補うために、ペーパーマネーのドルを垂れ流す一方、借り手を探して流れ出たドルを借り戻した。一九八十年代にはジャンク・ボンド(屑社債)で中小企業の運転資金に、次にはITブームで新興産業の設備資金に、そして最後はサブプライムローンで低所得者の住宅ローン、つまり消費者貸しへと走った。
モンゴル帝国のペーパーマネーは王侯軍閥という消費者相手の貸出しに走ると、間もなく大破綻して価値を失ってしまった。アメリカ合衆国のペーパーマネー(ドル)も、サブプライムローンという消費者貸しに頼りだすと破綻、世界金融危機からドル価格の暴落へと陥っている。
モンゴルのペーパーマネーは約八十年間、交換価値を下げながらも国際基軸通貨としての地位を保った。私は本書の原本で「二十一世紀のアメリカに、十三、十四世紀のモンゴルほどの知恵と権威があれば、あと五十年ぐらいは今日の状況が続くかもしれない」と書いた。現在の状況では、残念ながらそれほどの知恵と権威がアメリカ合衆国にはなさそうに見える。
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