> にも拘らず、私権の衰弱によって社会的な身分序列の頂点に君臨することになった大学の体制化とそれによる肯定派の増大によって、徒らに対象の細分化が進行し、ますます基本構造の見直しが捨象されて、誤った「基本認識」を生き永らえさせる事になった。
本来ならば常に真実を求め続ける「学問」の最高峰の場所である大学が、何故誤った基本認識を生き永らえさせる元凶となってしまったのでしょうか?大学にいた人間達が自分の立場しか考えずに好き勝手やってきたから・・・という意見もあるでしょうが、私はこれは「権威」に基づいた大学組織の構造的な限界が招いたもののようにも感じます。
一般に大学というのは「頭の良い人たちが高度な学問に基づいてより素晴らしい考え方を提供してくれる場所」というイメージがあり、そこには「権威」というものがあります。そして、その「権威」があるからこそ、人々を動かす影響力を持つことができます。そういう点で「権威」もある程度必要なものなのでしょう。
しかし、何かしらの大きな間違いに気づいた時、この「権威」というものがその軌道修正の邪魔をします。「権威」があるからこそ、「間違えましたごめんなさい。もういちど最初からやり直します。」という風に言うこともできなくなってしまうのです。しかし、だからと言って「権威」そのものを捨ててしまうということも難しいでしょう。大学は「権威」があるからこそ機能している組織なのですから。
正直、私にはこれは大学組織にいた人間の問題というより、構造上の欠陥が引き起こしている問題のように思えてなりません。仮に私がこの頃の大学組織の人間であったとしても、同じようにするしかなかったと思いますので。
この問題を解決する画期的な組織構造の変革方法があれば良いのですが・・・何か良いアイディアは無いものでしょうか? |
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