高校生の時に、ある人にふとこんなことを聞かれた。
「これまで好奇心のまま気になったこと、全部やってみた。
だけど、やれどやれど「コレだ!」と夢中になれるものには出会えない。
その時その時は楽しいのだけれど、どこかつながらない・続かない。
何を求めて、何のために、こうしているのか?
このどうしたらいいかわからない想いは、何なのか?」
当時の私は「そんなん、そのうち見つかるってば〜(*^^*)ノ」なんて軽く返してしまったが、彼はきっと潜在思念の実践思考では足りない、観念が必要な地平にいたんだ!
そういえば、ここ十年ほど、そういった人によく出会う。
「どうしたらいい?」
「これは、どういうこと?」
捉え方や構造が知りたいと、みんな“観念”を求めている。
それと同時に、みんな“共認”したいと思っている。
一人一人の中で高まってゆく不全感と統合期待。
それらの答えを追求し続け、みんなをつなげていくのが、
「構造認識」とそれを学ぶ私たちの役割だと強く思いました。 |
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