今村さんの投稿、そして共認治癒力83081を久々に読んで、表題のようなことを思いました。
実現論暗誦会に継続参加していますが、あるとき、たまたま会場の照明を消した薄暗い中で、数人の男女と暗誦を繰り返した時がありました。
まるで洞窟の中にいるような感覚での暗誦は、なぜか極限時代の始原人類達のそれと重なりました。
どこにもすがるものがなく無力な始原人類は、ただただ仲間に委ねることで、互いが充足と活力を与え合いながら、共認機能を唯一の武器として共認充足を得ながら、想像を絶する過酷な外圧を生き延びたのだろう。
そんなイメージが瞬時に沸き、そんな無力さを抱えた始原人類に同化してみようと思いを馳せ、目を合わせながら行った暗誦は、これまで感じた事のない深い充足と安心感を齎してくれました。この時は共認機能と共認充足のすごさを実感しました。
極限時代の始原人類は、自分達の無力さ、無能さをこれでもかと言うほど味わった存在。だから共認機能だけが唯一の可能性。それ以外は何の役にも立たない。そんな状況下だからこそ、共認機能にすがり全てを委ねていく。
そんな共認機能への可能性収束が、共認機能を最大限に発揮させるに至ったのではないかと思います。やがてそれが観念回路を獲得していく。それまでの間、共認機能は始原人類達に様々な充足と活力を与えてきたのではないかと思います。病に伏した仲間が共認充足を得て元気に回復していく、そんな治癒力も発揮されたのだと思います。
だから現代に生きる私たちは、始原人類が獲得した共認機能のほんの一部分しか活用できていないんだろうなと。そんな私たちが生まれ持った共認機能を最大限に活かすには、共認機能に可能性収束し、錆付いた共認回路を再生させていくしかない。
共認原理に転換した現在、これまで生きてきた中で身につけた近代思想や倒錯観念では、誰にも充足を与えられないし何の役にも立たない。そんな自分の無力さが、共認機能への可能性収束の純度を上げ、加速させていくのではないか。そしてその先に、まだ眠っている共認機能の力が呼び起こされていくのではないか。
共認回路を再生させる暗誦には、そんな可能性もあるのではと思いました。 |
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