市場の軟着陸は可能か?
233307 日本人は勤勉ではない?!・・・【その3】江戸時代、日本人はフリーターだった
 
火中の栗 ( 40代♂ ) 10/06/16 PM06 【印刷用へ
江戸時代の日本人は、必要なときに必要なだけ働いていたらしい。
非常に細分化されていた江戸時代の職業がこのような生活様式を可能にしていた。
現代人の目から見ると江戸時代までの人たちは「勤勉ではなかった」が、社会システムは現在に比べるとしごくまっとうに成立していた。
まわりから必要と期待された場合にしっかりと成果を出し、それ以外はのんびりと暮らしていたようだ。


■以下引用リンク_________________________

反社会学講座 第6回日本人は勤勉ではない

●江戸時代、日本人はフリーターだった

さて、舞台を日本に戻しましょう。フリーターという言葉が流行、定着したのは、1987年ごろのことでした。それまではアルバイターなどと呼ばれていたようです。それより、日本では、おばちゃんのアルバイトだけをパートといって区別する習慣があるのですが、これはなんとも不思議です。英語だと全部パートタイムですね。この辺には、なにか民族学的な理由が隠されているのかもしれませんが、それは専門家の研究を待ちましょう。どんなささいなことにも噛みついてくるフェミニズムの人たちが、これを女性差別だと騒がないのも、また謎のひとつです。

言葉そのものが比較的新しいため、そういう人種も最近登場したものと思われがちです。新しいものは、常に叩かれる運命にあります。運命といえばベートーベンですが、彼の音楽も当時は、やかましいだけのクズ音楽、と酷評されていたのです。まるでジャズやロックが誕生した頃のように。

新しいものを疎んじる守旧派のみなさんに、残念なお知らせがあります。フリーターは江戸時代から存在した、由緒正しい生き方なのです。

杉浦日向子さんの『一日江戸人』によれば、江戸時代、生粋の江戸っ子の中には定職に就かない人間がずいぶんいたということです。結婚して子供がいる男でさえ、食う物がなくなるとひょこっと町に出ていって薪割りなどをやって日銭を稼いでいました。まさに食うために必要なだけ働くという生き方ですね。

そういってもまだ信じない人がいると困るので、この話の裏を取るために、別の資料も参照しましょう。江戸時代には人別帳といって、いまでいう住民票みたいなものが作られていました。南和男さんの『幕末江戸社会の研究』に、様々な例がわかりやすく解説されていますので、それを使います。

慶應元年(1865年)、麹町12丁目。143人の戸主(世帯主)のうち、38人が日雇い仕事で暮らしていました。約26%です。同年、四谷伝馬町新一丁目では96人中13人で14%。こちらは住民に武士が多い土地柄なので、数字が低くなっています。慶應3年、宮益町では172人中69人で40%にものぼります。さすがに現代の日本で、世帯主の4割がフリーターという話は聞きません。江戸の世では、結婚してもフリーターでいるのがおかしくなかったのです。

そもそもこういう生き方が可能だったのは、江戸時代の職業が非常に細分化されていたせいなのです。先ほどの資料の中から、日雇い仕事だったものの内訳をあげてみましょう。時の物商売、按摩、車力稼、日雇稼、鳶日雇、棒手振、賃仕事、などです。時の物商売というのは、季節ごとの商品をかついで町中を売り歩く商売です。朝、親方のところに出掛けていって、物売りをやりたいんですけど、といえば、まったくの未経験者でも道具一式を貸してもらえ、すぐに始めれられるというものです。そうとうにいいかげんな商売です。時代劇によく登場する駕籠かきも、日雇い仕事のひとつだったのです。

当時、世界的にも非常に人口の多かった江戸という都市では、仕事を細分化することでワークシェアリングが実現されていたのです。そしてアルバイトが職業、生き方のひとつとして認められていました。現代のオランダが導入して成功し、オランダモデルと呼ばれるようになった雇用対策が、江戸の町ですでに行われていたのです。日本は雇用形態の先進国だったのです。日本人はこの歴史的事実を世界に誇るべきです。

ついでに、大工や商人のような、長年の修行が必要な職業についても触れておきましょう。江戸時代の職業観、労働観は、現代とはかなり異なっていました。大工にしても、毎日真面目に働くということはあまりなかったらしく、みんな自分の懐具合に応じて仕事に行ったり休んだり、適当にやっていたのです。大工は雨の日は仕事にならないというのはいまも同じですが、江戸の大工はもっとわがままです。夏場は暑いといっちゃ休み、冬場も今日は寒いからやめたとか、悪くいえば怠け者ですが、良くいえば人間らしい生き方であります。こういう偉大な先祖を持つ日本人は、やはり素晴らしい民族です。

いまでいう大手商社のサラリーマンが、大店の奉公人です。でも当時は終身雇用制度はなく、一生勤めあげるのは番頭とかほんの一握りの出世頭だけでした。その他大勢はどうしたかといいますと、ある程度仕事をおぼえると独立したのです。家族を養っていけるだけの稼ぎをあげられる小商いをやっていければ、十分だったのです。滅私奉公などという非生産的な労働形態は存在しなかったのです。会社に奉仕することしか能のない現代のサラリーマンのみなさん、昔の人に向上心と独立心を学びましょう。江戸時代はベンチャー起業家精神にあふれていました。これまた、現代のビジネスモデルを先取りしています。日本人に生まれたことが誇らしく思えてきますね。

              《続く》
 
 
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