素人による創造
233216 明治以降に音読から黙読へ(共同体の課題から個人の課題へ)
 
Rivet16 ( 中年 会社員 ) 10/06/14 PM09 【印刷用へ
 黙読を、調べてみると、日本においては、明治以降に普及していっており、それまでは、読む=音読が普通であったようです。
「明治の声の文化」森洋久さん(リンク
が、参考になります。引用させて頂きます。(以下引用)
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 声は明治の文化の中に広く浸透していた。本、雑誌、新聞などの文字媒体、錦絵、新聞錦絵などのビジュアルな媒体、浄瑠璃や歌舞伎などの身体の芸能、路上の演歌師や広告宣伝など様々な媒体に声は深く関連していた。
しかも、これらの媒体同士も繋がっており、名文句のもじりや流行唄のかえ唄が縦横無人に飛び交っていた。この複雑な関係をここにすべて解きあかすことは不可能であるが、書かれたものと声の関係と、路上の演歌師の声を通して、その一端をかいま見ることにする。
(途中略)

明治十年頃までには新聞縦覧所という施設が各地に普及し、新聞を読み、情報交換する人々が集まっていた。新聞雑誌を朗読する声、討論する声、ときには演説の声が満ちていた。新聞雑誌などの印刷物はあくまでも演説や討論の材料に過ぎず、声によるコミュニケーションこそが主体であった。

そればかりでなく、一人の時でも声に出して読む習慣があった。新橋横浜間に鉄道が開通した当初から、駅構内での新聞の販売が始まった。汽車の中で、乗客が新聞や本を朗読する姿が見かけられたという。たとえば、明治二五年九月一五日の『教育時事論』には「新聞雑誌流行の人心に及す感化如何」と題して「汽車の中に入れば、必ず二三の少年は、一二の雑誌を手にして、物識り貌に之を朗誦するを見るべく」とある。明治末年になってもなお汽車、電車の中で音読する様子が記録されている。

●音読から黙読へ
しかし、江戸時代から続くこうした声の文化にくさびを打つように、声を禁止する公共スペースが登場した。我が国最初の官立図書館として明治五年に湯島聖堂内に開設された書籍館では、雑談と音読が禁止された。開設当初からの「書籍館書冊借覧人規則」には「館内ニ於テ高声雑談不相成者無論看書中発声誦読スルヲ禁ズ」とある。そして、その後に開館したすべての図書館に音読禁止の規則は受けつがれていった。しかし、音読に馴染んだ学生が黙読することは難しかったようで、音読の違反に対して、徹底した取締りを行う図書館もあった。実際、音読規制があるということは、逆に音読の文化がいかに大きかったかを示していると言えよう。図書館という黙読の空間は当時の人々には、珍奇な空間であった。明治ニ四年(一八九一)の『女学雑誌』ニ五ニ号の清水豊子の記述によれば「静としてさながら人なき境の如し」と書かれている。明治三六年の旅行雑誌『旅』に掲載された「新趣向の東京見物」という記事によれば、国への土産話として、都会の図書館にあつまる数百の人々の「無言の業」が紹介されている。
大正時代になり、音読の習慣が衰退し、黙読が一般化するにつれて、図書館規則の音読禁止条項は形骸化し、消えていった。汽車、電車の中で音読する習慣も新聞の投書などで批判されるようになり、やがて消えていった。

音読の習慣が消えていく理由の一つとして印刷文化と流通形態の変化が挙げられるだろう。江戸時代には、庶民の間では貸本による読書が一般的であった。また、書生が貴重な本を手に入れようとすれば、持ち主を探して写本を作らねばならなかった。一冊の本を一家で共有したり、借りた本を暗記するほどに読むことが一般的であった。しかし、明治時代に流通機構が徐々に整備され、さらに句読点の導入や、言文一致運動などの文章スタイルの変化も起こり、新聞や雑誌、書籍が大量に出回るようになった。(途中略)

こうした文章スタイルの変化、流通の変化、図書館に代表される黙読空間の一般化に伴って、読書は黙読が中心となり、時には一人で小説に読みふけるという個人的な読書習慣が広まっていった。

●路上に広がる声
新聞やかわら版の音読の文化は、江戸時代末期から明治時代にかけての書生たちの音読、吟誦の文化と並行していた。当時の文人、書生たちの学習法とは、漢籍などを素読することだった。文章のリズムをつかんで漢語の形式を幼い頃から身につける手段として重要であると考えられていた。幸田露伴の『少年時代』には書物を「文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞て居る」ほどに音読した様子が書かれている。書生たちはレクリエーションの場でも、愛読する漢詩や読本を暗記し、吟誦することを楽しんだ。市川謙吉は『八犬伝』の中のさわり文句が多くの書生に暗記されており、暗誦できないと肩身がせまく感ぜられたと回想している(「明治文学初期の追憶」『早稲田大学』一九一八年)。土佐自由民権運動においては、田岡嶺雲の国会誓願の檄文などを青年たちが愛吟していた。こうした吟誦は学校、寮、寄宿舎などの共同体で集団的に享受され、連帯意識の高揚に役立っていたと考えられる。
(途中略)

沈黙の読者が成立する過程とほぼ時期を同じくして、路上の声は遠のき、劇場という室内の声がより大きな力を発揮するようになる。これには、たまたま同時期に路上警備が厳しくなったという現実的な原因もあったが、黙読にふける新しい読者が政治よりも文学を好むようになっていたことも挙げられる。演劇は、この読者たちを満足させるに足りる機能を備えていた。フィクションは事実性から注意深く分離されて純粋に抽出された。劇場という現実から途絶された場において、脚本家、演出家の完全な制御の下に置かれた声には、新しい空間にふさわしい語りが要求された。芸術座第三回公演「復活」の挿入歌の作曲のために、島村抱月が中山晋平に出した注文は「学校唱歌でもない、賛美歌でもない、(さりとて演歌のような)俗謡でもない歌」というものであった。こうして出来上がった「カチューシャの唄」は観賞者の心を捉え、大正三年に爆発的なヒットとなった。声の文化の次のステージが幕開けたのである。(引用終わり)
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