現代の教育論の源流になっていると思われるルソーの教育論について調べてみました。ルソーは社会契約説で有名な18世紀の哲学者です。
社会契約説は、人間は自由意思を持ち、自然状態では各個人は自己の欲求を充足させるために行動し、問題があれば解決のために協力し個々人の約束ができ、それが社会契約となる。国家は社会契約を保証するために存在意義があるという考えです。
ルソーの教育論であるエミールも、人間は自然状態であることが一番良いという考えに基いてつくられています。
自然状態では善であった人間が、人間の文化に染まることで悪になる。従って、判断力が出来る15歳までは知識は吸収しないほうが良い。それまでは、感覚器官を鍛え体力をつける事が重要だと言っています。
理解するのが困難な論理でした。「詭弁を説明しようとするから難解になってゆく232556」の一つの典型例でしょう。
以下に信州大学教育学部附属教育実践総合センターの「ルソーの教育論リンク」を抜粋して紹介します。
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『エミール』の中でルソーは、「人は子ども時代というものを知らない。…いつも子どもを大人に近づけることばかりに夢中になり、大人になるまでの子どもの状態がどのようなものであったかを考えようとはしない」と述べている。
☆子どもは小さな大人ではない。
☆子どもには子ども時代という固有の世界がある。
☆子ども時代には、大人に近づけるのとは違った意味での、子ども固有の成長の論理がある。
☆成長の論理に即して手助けすることが教育である。
「子どもの発見」により、教育という活動が何なのかを明確化した。教育という活動をさらに反省することにより「教育学」が誕生する。
「すべてのものは、造物主の手から出たときは善であるが、人間の手の中では悪になる」(エミール)
造物主=神の手から出たときは善であり、人間の手の中では…ということは、社会やその中の文化に染まっていくと悪になるということである。社会の不合理や不平等に対するルソーの見方がうかがえる。
自然状態では善であり、必要以上の欲望を持たず生きていた。しかし、社会が進歩すると欲望が生まれ、不平等や不合理が生まれた。人間は生まれたときは善であり、成長していくと欲望が生まれ、不平等や不合理が生まれ、いつの間にか堕落していくとしている。
ルソーは、教育において大切なことは「消極教育の原理」であるとした。消極教育とは、子どもたちに文化や文明を教えないということである。文明や文化を教えてしまうと堕落してしまうという理由からである。文明や文化はルソーにとって人為的なものであり、人為的な作為的なものを排除し、堕落したり悪が入り込むことから子どもを守ることが正しい教育であり、そうすることで子どもの本来の善が守られると述べた。
「消極教育」の方法についてルソーは、「知識を与える前に、その道具である諸器官を完成させよ。感覚器官の訓練によって理性を準備する教育を消極教育と呼ぶ」(エミール)と述べている。考える力=理性を育てる前に、感覚器官をしっかり育てなさいとした。ルソーは3歳までは感覚器官を鍛え、特に身体を鍛えることを大切にしなさい、とした。
15歳くらいになったら判断能力を訓練しなさいとした。ルソーが判断能力を訓練する際に大切だとしたのは実物教育である。実際にそのものをみることによって知識を得る方法である。感覚器官から情報を得て、人間の精神の中に知識を獲得させる。それが実物教育になっていく。
中世においては正しい知識は神からの啓示であり、感覚器官から学びとるものではなかった。感覚器官を通じて入ってきた知識は正しいとされてこなかった。
しかし、近代に入ってからは、感覚器官で正しい知識を得ることができるという考え方が市民権を得るようになり、それに基づいて自然世界や社会を変えることができるんだというのが近代の考えになっていった。人間の経験、感覚器官から情報・知識が得られ、そのことから人間は誰でも能力や理性を持ち、正しいことを自分で考えることができるという考え方である。
また、ルソーは青年期を「第2の誕生」とし、青年期の様々な悩みのことを「熱病を患ったライオンのようだ」と言った。第1の誕生が生物的な誕生であるのなら、第2の誕生は社会的な存在としての誕生であるとした。社会的な誕生の中でルソーが大切にしたのは、「利己心の克服」であった。お互いの気持ちを思いやる良心の教育が必要であるとした。ルソーは、社会としては自分の生まれ育ったジュネーブのような直接民主主義のようなお互いが知り合いであるような規模の共同体社会を考えた。 |
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