西欧科学は狂っている
232556 5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」(5) 詭弁を説明しようとするから難解になってゆく
 
匿名希望 10/06/01 PM04 【印刷用へ
このように文字にすれば、より深く考えたり構造化することも可能になるが、その反面、ますます難解になってゆく(仏典も神学も近代思想も)。その結果、専門家以外は理解できないものになり、人々は無関心になってゆく。'70年以降、近代思想も輝きを失い見捨てられた。

この難解化は観念あるいは観念力の高度化と言えるのか? 知識階級の自己満足ではないのか。

中世キリスト教会でトップレベルの頭の良い神官たちが神学論争に明け暮れていたのが、その象徴である。

論理矛盾を説明しようとすればするほど、膨大な論証が必要になる。しかし「三位一体」をはじめとして元々から矛盾しているものを矛盾していないかのように繕えば繕うほど、全体が詭弁と化してゆく。難解になるのは当たり前である。そんなものを読んで理解したと喜んでいるのが学者という存在なのである。

例えば、ドーキンスの利己的遺伝子論は完全な詭弁である。生物史には、個体が原点という事実はどこにもない。にもかかわらず無理矢理、生物進化を個人主義に結びつけようとして「遺伝子は利己的」と結論づけようとしたのがドーキンスである。

こうして学者たちは捏造に捏造を重ねてきた。そして誤魔化しや捏造を重ねれば重ねるほど、難解になってゆく。しかし、詭弁を糊塗するために捏造された難解な文章や学問を理解することに、一体何の意味があるのか?

思想や経済学だけでなく、自然科学も例外ではない。

例えば、物理学は読んだだけでは「何故こんな数式になるのか?」理解できない。その理由はいくつかあるが、その一つが、物理法則にさえ詭弁の構造が孕まれていることである。

無数の要素や力が複合的に絡み合って働いているのが現実の自然世界(宇宙の運動)であるが、たかが人間の脳レベルでは全体を構造化することはできない。そこで自然科学者たちは、関係する要素や力をほんの数個に限定し、その他の要素を捨象した人工的な特殊限定空間で実験を繰り返してきた。そうしてできた科学法則は、現実には存在しない特殊空間(実験室)でのみ成立する限定的な法則にすぎない。

そのことを昔の自然科学者たちは自覚していたが、現在の学者たちは、そのことを忘れてor忘れた振りをして、特殊空間においてのみ成立する法則を、あたかも普遍的な真理であるかのように発信する。

とりわけ、食品系の学者の主張はペテンそのものである。
体内では無数の物質が複合的に影響し合って働いている。どの物質とどの物質が複合的に結びついたら、どのように作用するのかということは未解明のままである(現在の科学はその程度の幼稚なレベルにすぎない)。にもかかわらず、ある一つの物質だけに着目して、その作用や危険性を喧伝するのはペテンと言うしかない。タバコ=ガン犯人説然り、CO2=地球温暖化犯人説然り。今や、自然科学も全く信用できない代物に成り下がってしまった。


●理解する=解釈することに意味があるのか? 理解=解釈しようとすること、それ自体が騙しではないのか? 理解しようとしなければわからない対象は全て詭弁なのではないのか? この問題は、今後も継続して追求してゆく。

それだけではない。追求途上にある「観念力とは何か?」は、その先がある。

反復千回の効用は明らかになったが、それだけで十分なのか?
とりわけ、現在は旧観念に代わる新理論が求められる時代だが、新理論の創出にはどのような能力が必要とされるのか?
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
芸能か、認識形成か

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