実現論を塗り重ねてゆく
230848 職業理論家ではなく、素人(大衆)によって作られる統合理論
 
長谷暢二 HP ( 42 山口 農業 ) 10/04/28 PM09 【印刷用へ
>90年代ならば「何故セックスレスが蔓延してきたのか」といった実践的・現実的な問題から出発し、その原因分析を4〜5人のグループ会議や、100人余りの劇場会議を重ねて行ってきました。<

>この初稿あるいは今から書き直す第2稿(’02年版)を叩き台として、『みんなの統合理論』の構築に賛同された協働者の方々の投稿をもって、今から本格的な改良・進化が始まっていくと考えています。<

実現論と、歴史上の「○○論」と言われるものには、本質的な違いがある。それは、実現論は、現実の問題から出発して、現実の問題を解決するために、素人が作り出してきた、そして、常に進化(変化)し続けるという点だ。

 今までの「理論」と呼ばれるものは、所謂、それを専門とする職業的な理論家、あるいは、生活の心配をせずに、現実とリンクしない観念世界に耽ることの出来る身分の者が作り上げてきたと言っても良いのではないか。宗教(古代宗教etc.)もそうだ。

 だから、現実の役には立たないものであったり、そのときは、一定の役に立つものであっても、一旦、構築されたそれらの理論は、広めることが目的と化してしまい、現実の外圧が変化しても、それに合わせて進化することが出来ず、陳腐なものとなってしまう。

 それに対して、実現論は、現実の問題を解決するために、現実の当事者である素人(大衆)が構築し、進化し続けて行く。
 私権の衰弱によって、序列原理から共認原理への転換が進む中で、その外圧変化に対応する形で、登場してきたのが、共同体・類であり、まずは、その類が主体となって基礎を作り上げてきたのが「実現論」。つまり、外圧変化(大転換)に対する適応様式(統合様式)の基礎が、共同体であり、「実現論」ということでは、ないだろうか。
 
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 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
芸能か、認識形成か

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