夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。
・・・・・(中略)・・・・・・
父親を特定することが意味を持つのは、子供たちに受け継がせるべき財産・権力のある有力者に限られていて、持たざる民衆にあっては、受け継がせるべきものもなく、名もない我が子種を残す必要もなく、したがって、女房が誰の子を産もうと、どうでもよいことなのである。
生まれた子供は「みんなの子供」であった。集落全体が一つの大家族だったのだ。みんなで助け合って暮らし、みんなで子供を育てたのであって、小さな男女の家族単位など、権力が押しつけたタテマエ形式にすぎなかった。
【豊かな性から貧弱な性へ〜夜這いの衰退】よりリンク
マスコミ、新聞、学者は、子供の教育における父親の役割などを議論したりしている。しかし、そもそも「父親」など居なかった。
母親は子供を産み育児するので「母親」は存在する。しかし、現在に言われている「父親」とは、自分の資産を自分の子供に継承させる為に,母系から父系社会に切り替えて作った観念である。
種付けとしての父親は居るが、それ以降の「父親」は不要である。
ただし、「みんなの子供」を育てる共同体集団の存在があることが前提となる。 |
|