>古い物的欠乏や解脱欠乏とそれらが作り出した私権闘争の全ては、新しい外向収束に基づく最先端の認識欠乏とそれが作り出す認識闘争の下に収束して、全体が統合される筈である。(35729)
自身の感覚も去ることならが、周りを見ても、古い欠乏である私権欠乏は、かなり影を潜めてきた感がある。
要は、自分の欠乏を追いかけても、何も充足しないという事だ。
例えば、ここ最近の感覚だが、みんなの期待に応えて、いろいろ調べるなりして、喜んでもらえる方がよほど楽しい。
さらに、若者になると、そんな感覚は当たり前で、社会の事も仕事のことも、その本質を知ってスッキリしたいと思っている。
もはや古い欠乏(=私権欠乏)には、可能性はないだろう。 |
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