西洋医療と東洋医療
226273 米が日本人の主食になったのはいつか?@
 
mosimobox ( 20代中盤 鹿児島 会社員 ) 10/02/11 AM10 【印刷用へ
>「主食」を調理済みの食品の重量ベース、調理前の食品の重量ベース、支出ベースのいずれで決定するのかは論議が分かれるところだが、今のところは「支出額ベースならかろうじて、重量ベースならまだまだ余裕でお米は日本人の主食たりうる」と見なして良いだろう。また、前年同月比ベースではお米の消費量が増えているのもまた事実である。(202773)

昔から日本人の主食=お米というイメージは強いですがお米が日本人の主食となった時期はいったいいつからなのか?税としてお米を納めていた時のお米の流れについて調べてみました。

米は日本人の主食ではないリンクより

***以下引用***

1.米が日本人の主食になったのはいつか
 米が日本人の主食になった時期について、時代的に大きくかけ離れた二つの説が存在する。
(1)弥生時代説
 縄文時代の終わり頃、日本に稲作が伝わった。弥生時代には、全国に広がり、各地に稲作を中心とした村ができ、国家が形成された。それ以後、日本人は稲作を生活の基盤としてきた。日本の歴史は、米の歴史なのである。
(2)第2次世界大戦後説
 第2次世界大戦以前は、麦・ひえ・あわなどの雑穀に、米2〜3割をまぜたごはんを食べていた。その他、そば・いも・とうもろこし・大根・豆類などを主な食糧にしていたのである。さらに、戦争で食料が足りなくなり、戦後の混乱期には深刻な食糧不足となった。ようやく1960年代に干拓事業で米の増産が成功して米が大量生産できるようになった頃には、パン食の普及などによって、主食としての米の地位が低下し、米余り現象が始まっていた。つまり、米が主食であったのは存外に短く、戦後の混乱期を過ぎた頃から最近までの数十年に過ぎないのである。
参考:亀田製菓リンク

2.享保の改革における「五公五民」の怪
 享保の改革とは、江戸幕府八代将軍吉宗が行った幕政改革である。後に行われた、寛政の改革、天保の改革と並ぶ江戸時代の三大改革の一つである。この改革では、年貢を五公五民に引き上げ、豊凶に関わらず一定の額を徴収することとし、新田開発を行って米の増産を図った。
 さて、この「五公五民」というのが不思議な数字なのである。「五公五民」とは、米の生産者である百姓の取り分が5割、支配者である武士の取り分が5割という事である。武士は自分たちが食べる分以外の米を市場で売って生活していたという。すると武士が売った米は武士でも百姓でもない者が買ったことになる。さて、江戸時代日本の人口の8割強が農民である。ちなみに武士は7%程であった。「五公五民」が本当なら、米の全収穫の半分を2割に満たない者が食い、残りの半分を8割強の人間が食ったことになる。
 以上のことから以下の仮説が考えられる。
(1)江戸時代の殆どの日本人の主食は米である。年貢が「五公五民」であったというのは嘘で、実際は「一公四民」くらいであった。すなわち百姓達はお上に対して収穫高を偽っていたのである。
(2)江戸時代の大多数の日本人の主食は米ではない。米を主食にしていたのは一部の特権階級だけであった。米の全収穫量の5割をこれら特権階級が主食として食っていた。それ以外の5割を百姓が副食として食っていた。その場合、百姓が主食としていた食糧を1とした場合、米の比率は0.25くらいになる。

3.脚気と米
 江戸時代、米を主食にしていた者には、ビタミンB1不足による脚気が蔓延していた。脚気は田舎では起こらず江戸に多かったという。そのため脚気は別名「江戸患い」とも呼ばれた。江戸幕府の将軍のなかにも脚気で死亡した人もいたという。権力者の食事内容は記録されていることもあるが、庶民がどのようなものを食べていたのかは、推定するしかない。江戸時代までは一部の人をのぞいて、たとえ米を食べることがあっても白米ではなく玄米で、おそらくは、米以外の麦などの雑穀を食べることが多かったのではなかろうか。
 ところが、明治時代に入ってから、一般庶民でも脚気にかかる者が出てきた。これは軍隊において白米が主食になっていたからである。明治政府は、円滑な徴兵のために「兵隊になれば白米が食えるぞ」といって宣伝した。それくらい白米の飯は、庶民にとって高嶺の花であった。
 白米を主食とした日本軍は、脚気による多数の死亡者を出した。後に海軍軍医総監となる高木兼寛は、脚気が西欧になく日本の軍隊にあるのは食事が原因ではないかと考えた。そして、兵に白米ではなくパン、後に麦飯を中心とした食事をあたえれば脚気にはかからないことを証明した。その結果、海軍では脚気患者はほとんど見られなくなった。ところが陸軍軍医総監となる森鴎外は、脚気の原因は細菌であるとの説を主張し、頑固に麦飯の効果を否定し続けた。その結果、陸軍では日露戦争において25万人もの脚気患者を出し27800人の兵士の命を脚気によって奪う結果となった。そして、鈴木梅太郎が米糠の中から脚気予防に効果のあるオリザニン(ビタミンB1)を発見するまで死者が相次いだのである。

Aへ続く
 
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