本文中にある
新たな外圧を内在思念で対象化⇒可能性⇒評価共認⇒集団の統合
このような統合様式は、人類に限らずに、生物史の中で普通に行われてきた統合様式である。外圧に適応する為には、現実を対象化しなければ本来生きていけない。
以下、実現論の実現論1_1_01
より
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生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み替えの可能性)へと収束し、新たな可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。
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しかしながら失われた本源充足を充たす為の倒錯観念や、自我性闘争を基盤とした欺瞞観念が蔓延していた強固な私権闘争が繰り返されていた時代では、現実に存在する多くの外圧状況を精査する為の観念機能は、蓋をされてしまった。
私権闘争・身分確保だけを対象化された私権獲得の為の上記の観念は、私権社会特有の狭い現実を対象化するのみに留まったのだ。
また、'70年代の貧困の消滅に伴い私権の衰弱が進むにつれて、現実を捨象した観念思考は、いよいよ輝きを失い見向きもされなくなった。
観念機能を先端機能とした現在の人類は、この観念機能を用いた現実の把握(共認)を間違うと、滅亡するしかない。 |
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