>『必要か否か』は、人々の潜在思念や事実に基づく共認圧力=現実の圧力によって判断されています。(34154)
人には、人それぞれの価値観があって、感じ方も十人十色。
こんな個人主義思想に染め上げられて、バラバラの根無し草になったのが現代人。
同じ社会に生を為す者として、潜在的に感じている物、見えている物は同じだと思う。
(仲間と課題に取り組んでいる時に時折出会う「やっぱりそこモヤモヤしてた?」「ヤバイと感じてた?」等の共感体験がこれを裏付けている)
ところが社会空間において、この潜在思念は言葉になっていないが故になかなか共有出来ない。
しかも、先の個人主義思想発の観念群が邪魔をするから尚更だ。
>「答えとなる認識」と「認識を形成してゆく場」に、現実の必要性を感じ取っていく筈です。(34154)
「答えとなる認識」⇒皆の潜在思念を言葉にする
「認識を形成してゆく場」⇒その言葉(観念)を共有する場
どちらも、現代人全てに課せられた(=期待されている)課題なのだ。 |
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